~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -20ページ目

可か不可か 〜水凍る寒さ〜

42歳から始めたテコンドー

一時は若い人達とも戦う大会へも出ましたが



中年から中高年へ寄る年波に勝てず、今では落ちて行く体力の中練習のみ。

そんな中


友人との約束で、急遽走ることとなったフルマラソン。

積み重ねた時間やその激しさは、試合を目指したテコンドーという武道には及びませんが

元々、走るのが苦手な子供は50歳を手前にして42キロを走りきれるようになりました。



落ちて行く体力と、肉体の衰えは誰も止めることができません。

しかしこれから20年以上の永き時をどう過ごして行くのか?

これまた、何を考えたらそうなるのか分かりませんが

昔、音楽の時間が一番苦手な子供は50歳手前でギターを手にしました。




法学部しか出ていない文系の人は住宅専門の設計と工事をする会社を作りました。



でも、今では住宅は会社のスタッフが主となり、僕はもっぱら店舗や医院、事業物の設計、工事です。




ある人に言われました

「仕事で駆け回って頑張ってるのに、40過ぎてテコンドーで若い人と戦って、今はギター習ってマラソンですか?いやぁ、まさにリア充ですね!



この時、初めて分かりました。


この方には理解できない、この身がちぎれる程の努力を

元々運動が苦手な僕がするのは、

音感なんて無縁、そこに触れずに50年近く放っておいた僕がするのは、


「自由な選択肢で施主が建てたい家を建てる」と夢描いていた僕が

繁盛と投下コストとのバランスを考え、事業に合ったベストな物を作ろうとするのは、


年を重ね、衰えたとしても、きっと僕はいつまでも

「変わろうとしている」のだと。


公私にわたり全力を尽くすのは、

自分を全力で鍛えることのできない人間が

一体、仕事で全力を傾けることが出来るのかということだと。


かんべむさしさんの短編に、カフカの「変身」をパロディにした「氷になった男」という話しがあり

主人公ミズコール・サムサが変身したのは虫ではなく「氷」

それが「氷」となったにも関わらず、落ち込む事無く努力し氷のまま日常を取り戻す話しでした。


僕はこれから、年を重ね、生きている時代も変わり、世代も変わりする中

その姿で「変わろう」

つまり、未来に自分がどんな姿であろうと、その全力の中、生きようとしているようです。


僕にできること

変わって行く運命だから、変わろうとすること

ベルが鳴らなくて 〜まさに俺の臓器〜


ウェブサイト上に自分を公開し、日常や出来事を日々書き連ねるという

「ブログ」

出始めた当時は、誰しもがこぞって「日常の公開」を続けて来ました。

しかし、継続するというのは中々大変な上

FacebookやLineなどSNSへの移行で、不特定多数に対する「公開」がすたれてきたと思います。

かく言う僕も

そういったSNSへの移行でブログを書く頻度が下がりましたね。


思えば電話機

100年はその栄華を占め

そしてポケットベル

誰もが新しい通信手段に乗り

次に携帯電話

世帯間から個人間への通信接続が一気に加速しました。

その携帯電話もEメールからリアルタイムチャット、SNS、facebookと

さまざまな手段が一つに入ったスマートフォンに淘汰されていきます。

コミュニケーションは多様になり、個人間のやりとりは密になり

そして中身は希薄になりました。

「自分を公開」とは何なのでしょうか。

たった数年の間に人は、それほど他人に知られていないと生きてゆけなくなったのでしょうか。

そして、次は何がスマートフォンをポケベルのように淘汰していくのでしょうか。


そういう僕も、自らを晒し生きているのですが。

これからも自らを晒して行くのですが、一体何を晒し続けるのでしょうか。



僕が晒しているもの

それは生き様

あれから何年の月日

東京に来たのに合わせて

大学を卒業して就職したミサワホームの同期たちと集まって飲む会を開いていただきました。



時は平成2年、バブル華やかかかりし頃

僕らは、あの浮かれた時代に就職

そして、今はそれぞれの道を。

あの頃、右も左もわからず社会に出て

絶頂の経済で就職が決まり

ドン底の不況で社会生活が始まるという端境で

それぞれの道をえらび

50歳前。

それでも、同期入社は208人

そのメンバーが現在も60人ほどミサワホームに在籍しているとのことでした。

もし、あのままミサワホームに居たら

その僕はきっと想像もできないだろう

嵐のように生きる僕を。




そんな僕にできること

仲間達との笑顔