~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -151ページ目

岡山で勉強しました

岡山県に行ってきました。

200年住宅、HABITAの勉強会です。

場所はHABITA藤原の日本ルーフさんの展示場
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HABITA本社の石川常務の座学は5時間におよび

しかし、その時間を感じさせない引出しの多さに参加者全員脱帽でした。

特に木にまつわるお話は、夜を徹して語っても終わらないほどの造詣が深い方です。

そして、座学が終わる頃には日も暮れ始め

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そろそろ帰ります
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この日

朝、最初に日本ルーフさんの本社へご挨拶へ伺い、展示場に向かうときですが

信号を右折したら「ウゥ~!」
白バイに「止まりなさい」と、止められました。

「何か違反しましたか?」

「曲がる手前に陸橋からの合流があって一旦停止しなけりゃならないんだよ」

「え~!そんなとこありましたか?」

結構複雑な交差点だったと思いますが、見通しはよく、そんな一旦停止は気づきませんでした。

あるよ、ハイ減点2点、罰金7000円ね

問答無用です。

そして、反則切符の帳面を開いてびっくり!

違反場所やら、違反内容やらがすでに書かれています。

「ハイ、署名して、はい拇印押して、はい切符」

ビリ

なんと、下からも既に違反内容と場所が書かれた切符が

…このお方のフィッシングポイントなのですね。

ノルマ、上がりました。


違反や事故が起こらないように喚起するのも警察の仕事だと思いますが、

「反則」をさせて捕まえることを目的としています。

何かおかしいです。


僕が岡山で勉強したこと

木と200年と納得いかないこと

勉強代、7000円也

人が学ぶとき 〜学べない理由〜④

人が学ぶとき ~学べない理由~③のつづきです。

話は戻って「構造計算」

算数がダメで赤点ばかり採っていた僕が、この「構造計算」にのめり込む事になります。

計算をいくらしても追いつかない構造計算。

時間一杯でも終わらなかった計算の授業が続きました。

齢30歳前、どう考えても脳細胞が死滅していく年齢でありましたが

この計算にのめり込んで行きました。

構造計算以外のその他授業にも、のめり込んで行きました。

朝4時からアルバイトで働き、一部(昼間)の学生の授業が終わる前から空いている教室で自習

夜授業を受け

夜中12時ごろまでさらに家で勉強をする。

1日に8~10時間ぐらい勉強していました。

夜間学校のカリキュラムをこなしていくことはかなりハードです。

しかし、そんなことよりも勉強したくてしたくてたまらなかったのです。

灰色に繰り返される構造計算であっても、面白くてしかたがありませんでした。


子供の頃から勉強が嫌いでした。

単調に繰り返される計算や、作者の意図かどうかは解らない国語の模範解答

その目的がわからないので勉強が嫌いで嫌いでしかたありませんでした。



その僕が、勉強したくてしたくてたまりません。

寝る間も惜しんで勉強しました。

偏った知識の歪な販売人形

偏った知識はスポンジです。

歪な心は燃えるエネルギーでした。



吸い込んでも吸い込んでも

燃やしても燃やしても足りません。


「そうか!だからそうなんだ!」


構造計算も発見と喜びの連続です

足りないパーツがはめ込まれていきます。


1年も経つ頃

建築士の試験を受けました。

本来、法定学校なので卒業しないと受ける事のできない建築士試験でしたが、経験年数で受けることができたのです。

在学中、あっけなく建築士試験に合格しました

そして学校を辞めました。

齢30歳

社会で生きて行くには焦りを隠せない年齢です。


そしてまた、何のビジョンもなく起業する渦に巻き込まれていきますが、それはまた別のお話。


当時、思いました

「高校生の時、これだけ勉強してたら東大でも合格するだろうな」

本気でそう思いました。

人は何故学べないのでしょうか。

それは餓え、渇き、求めるほどの「渇望」

溺れのめり込むほどの「餓えを満たす喜び」がないからです。

人が学ぶとき、それは強烈な渇望があるとき

学べない理由、それは

「学ぶべき理由を見いだせない」lからに違い有りません。

僕は学ぶべき理由を見いだせないまま学生時代を過ごし

歪で偏った自分によって「学ぶとき」を迎えました。


今の世の中、大人は子供達に「学ぶべき理由」を正しく伝え、勉強を強要しているでしょうか?

答えは否でしょう。

この功罪は重く、そしていつか自分たちや子孫に返ってくると思います。


僕にでも出来るから思うこと

誰しもに渇き、求め、燃えて欲しいこと














人が学ぶとき 〜学べない理由〜③

人が学ぶとき ~学べない理由~②のつづきです。

29歳、僕は無職となりました。

家を売る事はできても、肝心な「何か」が欠けており

何か行動を起こさずにはいられなかったのです。

平成7年当時、景気が悪くともまだドン底ではなく、これから4年後に1回目の底を迎える前でした。

建築専門学校の夜間(二部)、入学当時2クラス300名の生徒がいました。

多くの社会人がおり、大学生のダブルスクールや、公務員の方々、工務店に勤める若き監督さんや様々でした。

そして、さすがに29歳では専門学校でも最年長

ちょっと浮いてました。

しかし、300名もたった2クラスで入れるとギュウギュウの満杯。

こんなのでいいのかと思いながら、夏休みを迎える頃には

たった60名に減っていました。

理由はたった一つ「構造計算」でした。

構造計算の授業の時間、たった1、2問の問題2時間の授業中に

計算し終わらない。

延々と仮想構造の構造断面に対し鉛直力、剪断力、回転力などを計算しつづけ

建物全体の力学的成り立ちを数値で一カ所一カ所検証し証明していく。

ダブルスクールの大学生さんも、有意義ライフの公務員さんも、重労働の若き監督さんも

苦痛で音を上げ人知れず辞めて行きました。

この授業の単位を落とすと卒業できないからです。

法定学校であるこの建築専門学校を残った60名は辞めることなく残ることとなります。


卒業直前、突然辞めることになる僕以外は

~つづく~