突然、私の師匠ともいうべき人が亡くなった。



今の仕事に就いたばかりの時に、手とり足取り指導してくださった方だ。


定年退職されてから10年余り経ち、ついご無沙汰してしまっていた。


現役時代に肺がんを患ったものの、奇跡的に克服され、ゆっくりではあるが、奥様と静かな人生を送っておられると思っていた。





今思えば、仕事に限らず、日常の行動など基本に厳しい人であった。


例えば、服装が乱れていればさりげなく叱っていただき、ゴルフに行く際もルールをわきまえていない我々に、その都度たしなめてくださったりとおせっかいと言えなくもないレベルまで指導が入ったものだ。


ただ、いずれの場合も言葉の裏に深い愛情が込められているからか、注意を受けた者は素直に従う。


指導者としての力量をまざまざと見せていただいたように思う。



通夜の場で、今更ながらに、もっと教えていただくべき事があったのにと後悔の念が禁じ得ない。


奥様の「あと10年一緒にいたかった。」との言葉が示す通り、深い愛情で結びついた夫婦であり、また喪主を務めておられた御子息の立派な挨拶を聞くにつけ、家族を大切に生きた人生であったろうと思う。


我々は、身近な人が亡くなると、生前にもっと会って話をしておけばよかったと悔やむが、日々、優先させる事が多く、なかなか実行できない。


はっきりしていることは、自分も含め、人はいずれ死を迎えるという事実だ。


後悔していても、取り返しは付かない。


本来、もっと、会うべき人に今すぐにでも会っておくべきなのだ。


祭壇の中の笑顔の写真を見ながら、特に今回はそのことを痛感した。