ポテチは食べてナンボ。
袋を眺めていても少しも満たされない。
その袋を開き、
中のポテチを食べることで
腹(あるいは塩分の欲求)が満たされる。
そして、腹が満たされるためには
ポテチの減少は免れない。
やがて袋の中味は空となり空の袋はゴミ箱へ。
目の前からポテチの存在は消える。
生きている限り、腹は減る。
胃の中のポテチが消化され、
何かしらの養分として吸収されると
再びポテチが必要だ。
・・・いや、ご飯はきちんと食べよう。
仕方がないからなにか別の食品を買う。
そうやって食べ物を消費し続けることで
僕は生きている。
(僕が食べ物を生み出すことはない)
だが、残高は話が違ってくる。
もちろん資産残高の話だ。
残高は眺めるだけで満たされる。
「よしよし、我が家の経済はちゃんと回ってるな」
と、人心地をつく。
目の前にあるのはただの数字の羅列だが、
それは
世の中のいろいろなものと「交換する権利」
保障されているという証である。
もしも、そこに僕の残高は1円もなくて、
存在しているように見えるその数字に
だまされているとしても、
それに気付かなければ
僕は満たされた気持ちのままでいるだろう。
そして、明日もせっせと働くのである。
さて、明日は残高を少しだけポテチに交換してみよう。
この数字が本物か確かめてみるために。