中村紀洋が横浜ベイスターズ入団することが決まったというニュースが流れた。


私は彼のことが大好きだ。



私が彼のことを好きになったのは、2007年のこと。


その前の年、

彼の年棒は2億円だった。


既に野球人としてのピークは過ぎていたものの、メジャー帰りの彼はスター選手だった。



しかし彼はケガもあり、85試合で打率.238という成績に終わった。


ケガは公傷と認められず、契約更改で球団が提示した年棒は8000万円だった。


前年の2億円から60%ダウン。


公傷を主張する彼との交渉はまとまらず、彼は退団に追い込まれたのだった。



彼は他球団から声がかかる自信があったのだろうが、ピークを過ぎた問題児に声をかける球団は現れず、とうとう自由契約となった。


その後、彼はあきらめずに自主トレを続け、オファーを待つことに。



そして2月12日、ようやく中日から声がかかった。


しかし、それはテスト生として。


背番号は205。


年棒は400万円。


1年前の年棒は2億円。


1か月前に提示され、断った年棒は8000万円。



もはやこれまで日本球界を牽引してきたスター選手に対する扱いではない。


それでも彼は涙を流して喜んだ。


「もう一度、野球ができる」



彼はトレードマークだった金髪と髭を剃り、丸坊主でキャンプに臨んだ。


落合監督の厳しいノックに耐え、そしてオープン戦で結果を出した。



そして開幕直前、支配下選手として背番号99をつかんだ。


それでも年棒600万円。



その年、彼は打率.290、本塁打20本と、中日の日本一に大きく貢献。


日本シリーズではMVPに輝き、インタビューで涙したことは記憶に新しい。


そして契約更改では5000万円に。



中日で2年間プレーした後、彼はFAで楽天への移籍を決めた。


成長著しい森野がサードに固定され、ファーストには不動の四番打者ウッズがいる。


もはや中日には彼の居場所がなかったのだろう。



その後、楽天でもケガになき思うような活躍ができないまま、とうとう昨年解雇を宣告される。



国民の誰もがこう思っただろう。


「ノリよ、お疲れさん。よくがんばったよ。ゆっくり休んでくれ。」



彼のファンだった私も、彼が戦力外通告を受けたことは非常に残念だったが、これまでに受けた感動に感謝をするのみだった。



そんな中、彼の横浜入団のニュースを聞く。


聞けば、

解雇の後も一人で自主トレを続けてオファーを待っていたという。


彼にとっては2度めの孤独な自主トレ。


さぞかしツラかっただろう。


何度もくじけそうになっただろう。




私が彼のことが好きなのは、あきらめない姿勢だけではない。


彼は8000万円が不服で近鉄を飛び出し、他球団からも総スカンを喰らったが、実力があったから中日に拾われ、そして結果を出し翌年お年棒5000万円を勝ち取った。



これが並の選手だったら単なるワガママ選手だっただろう。


彼は実力があった。


そして結果も出した。


彼はワガママを言ってもオファーする球団があるのだ。



実力と結果。


私も彼のようになりたいものだ。



(ウィキペディアも見てね)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E7%B4%80%E6%B4%8B


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