僕はギリシャに行くといろんな人と話します。
現地の知り合いにいろいろ教えてもらったり勉強になることがたくさんあります。
でもよく感じるのは「親日」だなぁーということ。
きっと感じたことがある方もたくさんいらっしゃると思います。
「日本から来たよ」というと笑顔で優しくしてくれて
それはなんだか少し特別な感じがすることが何度もありました。
スピローズファミリーが行った時もみんな親切(?笑)にしてくれました♪
これはきっとギリシャ人のフレンドリーな国民性が多いに関係あるとは思いますが
実は今から約100年前にあったあることが少しだけ関係してるのかもしれません。
さかのぼること1922年9月。
アルメニアとギリシャ人はトルコ軍との戦火によって追い詰められてトルコ西の港町スルミナ(今のイズミル)にたどり着きました。
ギリシャトルコ戦争末期の混乱の中、イズミル寄港していた船は当然、自国の難民たちを救うのをまず優先します。
でもそこにいた日本の商船は彼らを見捨てませんでした。
ギリシャやアルメニア難民を乗せてギリシャの海岸まで彼らを移送してあげたんです。
しかもこの時に難民を乗せるために積み荷を捨ててより多くの人が乗れるようにしたという逸話まで残っています。
このことが伝わって今でも日本人の行動に敬意を示している人もいるといいます。
なんだか日本人としても嬉しいエピソードです。
そんな1922年はスピローズのある蒲田にもおおきな出来事がありました。
1922年9月2日、その日本商船がギリシャ難民を救う前の週です。
目黒蒲田電鉄が設立されました。
翌年目蒲線が開通。
今の東急多摩川線や目黒線です。
なんだか蒲田にとってもギリシャにとっても特別な年で歴史のロマンを感じます