誰かが死ななきゃ変わらない、誰かが死ななきゃ収まらない。 | mihiro bund

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orihimemihiroは・・・・

昨今のSNSには困った反面、実に日本的とも思えるものです。

 

まあ少し前になりますが、個人が自ら政治家を殺害した事件も

ありましたね。

確かにあれ以降変わったことは多くあります。

いまでも別件であれやこれや・・・・。

 

日本は今も死刑制度がある国です。

私はずっと以前から思っていることがあるのですよ。

それは「仇討ち制度」の復活。

殺人などを犯した者に対して、被害者親族が直接お上立ち合い

の下で直接手を下す仕組み。

だって思わない? よく被害者遺族は「犯人には死刑を」とか

希望するコメントしてたりするじゃん。

だったら、希望するならアンタが直接やってもいいよ、って話。

もちろん、今までと同じで司法に任せるという選択も出来る。

どちらを選択するかは被害者遺族次第。

 

いくら憎しみがあっても、自分が直接ってのと誰かにってのは

まったく違うと思うんだよね。

それがSNSだと自分の書き込みが自分が直接って感じないんだよね。

素手とかナイフと鉄砲では同じ殺人でも殺した本人の感触って

まったく違うと思うんです。

 

つまり、直接的な感触が無いと意外と簡単に出来てしまう。

これがSNSの怖さだと思うんです。

でも今ってちゃんとした理由を元に書き込んだ人の特定を

してくれますよね。

書いた内容によってその罪を決めてどんどん摘発や罪に問えば

いいんじゃないですか。

そうすれば、自分は安全圏に居るから何言ってもいいって人は

減るんじゃないでしょうか?

SNSの書き込みが打つ手がないなんて時代は終わらせないと。

やれることをやらないで、何かが起こった時だけ騒いだところで

どうなるというのだ。

(法律を変える、新たに作る等をしてまでもやらないとって意味)

まったくもってバカげている。

 

個人の何チャラがって言われるかも知れないが、それは殺人であっても

そう言えるのか?

死んだ人があなた自身だったり最愛の人ならどうだ?

死に至らしめた奴らを仕方ないって放置や許せれるのか?

そんな世の中でいいのか?

 

こんなふうに考えちゃいますよ。