その城は主郭が一番高い所にあり、そこから四方に延びる尾根に遺構がある。
尾根を歩き回り、さて、下るか!
しかし、一度、主郭まで戻り、登ってきた尾根を下るのは遠回り。面倒!
ところが、ある尾根の末端に行ったら、下の方に道路が見え、車が走っている。
「しめた」ここから下れば・・・。
その後、お決まりのドツボに嵌まる。
一番の近道に見えるルートが実は一番の遠回り、という何度も経験している人生の失敗の教訓を繰り返すことになる。
全く成長していない。
案の定、山を下っていって進退窮まる。
凄い崖のような急坂、しかも砂地だ。
どうにも動けない。
しかし、ここまで来たら下るしかない。
急坂で何度も転びながら、滑落しながら・・・。
時には携行していたロープを木の幹に巻き付けて、ロープを頼りに・・・。
最後は沢だ。
一か八かそこを飛び越えて・・・まだまだ、俺の身体能力、捨てたもんじゃない。
って感心している場合か!
そして最後、藪を抜けて道路脇の歩道に出た。
そうしたら下校中の中学生の列の中に・・・これは赤面ものである。
思わず「こんちは」と挨拶したのが良かったのか、通報もされず、取り押さえもされずに済んだが、あの姿は不審者そのものである。
その城、東京都八王子市の浄福寺城。
八王子と言ってもここは山間部入り口の田舎である。
この城、昔からあった関東管領上杉氏家臣大石氏の城だが、戦国時代、家も城も北条氏に乗っ取られ、八王子城が南の山に築かれるとその北を守る出城になり、巨大化する。
しかし、小田原の役、八王子城の戦いでは城主、氏照は主力を率いて小田原城に入り、八王子城にも家臣が籠もっていた程度だったので、浄福寺城は守備する兵もなく放棄されていたと思われる。
城は典型的な尾根城であり、本郭が位置する標高356mの千手山から延びる尾根筋にこれでもか、これでもかという位しつこく曲輪や堀切が展開するおそらく全てを見ようとしたら少なくとも半日は必要だろう。
南東の尾根の曲輪に行って山の南下を見ると高速道路が山から突き出て車が南に走って行くのが見える。
そうこの曲輪の真下を圏央道恩方トンネルが貫通しているのだ。
この曲輪から下ろうとして、冒頭の悲劇となったのである。