中山(なかやま)城という名前の城、全国各地にあり、混乱する。

この付近にもごっつい中山城がもう1つある。


この中山城、中山(なかせん)道(国道142号線)から白樺湖方向に向かう大門街道(国道152号線)が分岐する地にある。
両街道と両道に沿って流れる依田川(和田川)と大門川に挟まれた南北に長い山にある。


↑北から見た城址、右の谷を行けば和田峠、美ヶ原。左に行けば白樺湖、霧ヶ峰

中山道は言わずと知れた中世から近世の幹線道路であり、大門街道は武田氏の信濃侵略の幹線侵攻ルートの1つであり、その両道の合流点、交通の要衝に立地している。

城があって当然という場所にある。


何しろ長い城であり、南北約1.3㎞ある。

と言っても先端部近くと標高900m以上の長さ約500mに城域が分かれ、その間は明確な遺構がない尾根である。

先端部の稲荷神社がある付近が物見台兼大手曲輪であり、石積みもある。
主郭部は3つの曲輪からなり、約500m続く。

本郭の標高は964.4m、比高は約300m、本郭自体は周囲を土塁が囲む小さな規模であるが、凄いのはその南北に三重堀切が置かれることである。

↑ 主郭の前後を豪快な三重堀切で囲む。

さすがにここの部分の堀切の鋭さは凄い。深さは6mほどある。


これほどの城であるが、城主は明確ではない。

場所からしてかなり古い時期に城はあったと思えるのであるが。

伝承では武田信玄が信濃侵略のために取り立てた城としている。

確かに大門街道を抑えるには絶好の地ではある。(宮坂武男/信濃の山城と館3 を参考。)

 

ではHP 中山城にて