管理人の実家、信州川中島から見える山は城ばかりである。
それらの城のうち、メジャーな城は制覇したが、まだ制覇していないマイナーな城がいくつかある。
そのマイナーな1つがこの城である。
ちなみに「しの」ではなく「ささ」と読む。
城のある近くには永禄4年(1561)の第四次川中島合戦で武田軍がまず始めに陣を敷いたと言われる茶臼山がある。
その茶臼山山頂部には有旅(うたび)城があり、横堀が残る。
この合戦で武田軍がこの山に陣を敷いたのかどうかは分からない。あるいは時期が違うかもしれないが、伝承も残る。
その茶臼山の南側は「地すべり」地帯であり、地形がかなり変わってしまっている。
地すべりの跡に造られたのが「茶臼山動物園」「恐竜公園、植物園」である。
地すべりは茶臼山の東側では起きていない。その東側斜面にこの笹の城がある。
この笹の城は茶臼山から南東に延びた尾根を約1㎞行った標高544mの場所に主郭を置く。
さて、この城であるが、2011年5月に1度チャレンジしたが場所が分からなかった。
当時はスマホもなくGPSなどの時代ではなく、昭文社の地図を頼りに探した。
で、城址の少し西にあるリンゴ園までは辿り着いた。
しかし、そこまでであった。城は見つからなかった。
そのリンゴ園、実は半分正解であった。
城域だったのである。
肝心の主郭はその少し北東側にあったのだ。まあ、こういうことはよくある。
それから13年、再チャレンジ。ようやく到達した。
この城を扱ったHP、ブログ等を検索したが、ちゃんとした記事になっていたのは「らんまる殿」のブログだけであった。
例のリンゴ園が掲載されているではないか!
それを頼りに2024年4月に行ってみるが、リンゴ園など存在しなかった。
それもそのはず、記事は2013年のもの、もう11年の歳月が流れていた。
その間にリンゴ園は廃園となり、木も切られ、笹薮になっていた。
小屋の残骸があるだけであった。
しかし、リンゴ園跡に入る部分、二重堀切になっているではないか!
これは全く気が付かなかった。
斜面部には竪土塁、竪堀、腰曲輪まであるではないか。
したがって、このリンゴ園跡、後世の改変を受けているようだが、城域だったと思われる。
なお、このリンゴ園跡については宮坂武男著「信濃の山城と館2」でも城域と扱っていない。
既にリンゴ園が存在していないことに惑わされ、その日はここで撤退。見事「リンゴ園」に騙された。
翌5月、再々チャレンジした。しかし、俺、呆れるほどしつこい。
まさに「城ストーカー」である。通報モノである。相手が女性じゃなくてよかった。
でようやく、主郭部に到達!
ちゃんと城は存在していた。俺の大好物の「石組み」もあるではないか!
陣城、物見台のような臨時の城ではなく、石積みを持つ本格的かつ恒常的な城郭であった。
↑ 城址付近から見た東に広がる川中島。正面付近が海津城、その右手が妻女山、カーブミラー付近が八幡原。
佐久にいた布施氏がここに入り、篠の城を築いたと言われる。
戦国時代、武田氏がここを接収し陣を敷いり、物見台を置いたのであろう。
物見台と言われるようにこの付近からは川中島一帯が良く見える。
では、この近くの石川城とともに
HP 「篠の城、石川城」にて