2024年3月に確認された城である。
興野(きょうの)地区は那須烏山市を流れる那珂川の東岸である。

そして、東の山にこの城がある。


烏山城は那珂川が東を流れ、天然の水堀の役目となっている。

那須氏の宿敵佐竹氏の侵攻に対して有利であるが、この興野の地は那珂川の東側に位置するため、川を要害として使えない点で地理的の不利である。


その興野地区には東の山に城があるとの伝承がある。
しかし、城の場所とかどんな城なのか、全く知られていなかった。


ところが、山の尾根に堀切らしいものがあるとの情報がもたらされた。
その山、標高251m、麓からの比高は約150mである。結構高い。
かつ、谷も深く、深い山の中である。ともかく、行ってみる。


この付近の山は浸食が進み、尾根と谷が複雑に入り組んでいるが、尾根上は道も兼ねているのであろう、比較的歩きやすい。
尾根まで登るのが大変であるが、尾根に出てしまえば多少のアップダウンはあるが、特に難所もなく城址まで行きつくことができる。


しかし、この城、あまり城らしくない。
4つの尾根上のピーク部が平場で段々になっている。土塁を持つ場所もある。帯曲輪と思えるものもある。
でもそれが人工物であるのは分かるが、それが城のパーツであるのか、林業などに伴うものか判断できない。


尾根には普通、堀切を置くのだが、ない。

このため、城かどうか確認が持てなかった。
しかし、ピーク部から派生して下る尾根に行ってみると、あちこちに堀切があるのである。
都合5か所確認したが、まだ、未確認のものがあるかもしれない。


麓に那須一族、興野氏の興野城があったがその詰の城と思うが、ここはほとんど居住性はない。
比高150mもあり、安全性は高いが、一時的、短期間の避難しかできず、それほどの人数も収容できそうにもない。
果たして佐竹来寇時、ここに避難したことはあったのだろうか?
それでは滝田要害とともに
HP 「興野要害、滝田要害 にて
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