「めのう」鉱山を取り上げたので、今度は「黒曜石」の鉱山。
こっちは縄文時代にまで遡る鉱山・・・が近くにあった。

↑ 我が家にある黒曜石の石槍です。

信州を通る中山道は碓氷峠、木曽路等、難所が多い。諏訪に降りる峠、和田峠も難所の一つである。
今は国道142号線が通り、トンネルであっさり通過できるが、かつては細い曲がりくねった道を登った。
和田峠と言えば、黒曜石の産地であり、旧石器時代から人が来ていという。日本初の鉱山もあったという。
今でも沢で拾うことができる。


↑ 和田川で拾った黒曜石の塊。まだ、けっこう拾える。

戦国時代には関ケ原に急ぐ徳川秀忠の軍勢がバラバラになって進軍して行った。
峠付近に真田軍が潜んでいるとか、和田城に真田軍が入ったという噂が流れ、パニックを引き起こしたという。
さらには幕末、ここを天狗党が上方に進撃し、待ち構えた高島藩、松本藩の藩兵と戦いとなった。幾多のドラマが展開された場所でもある。
その和田峠の北側の入口、旧和田村の中心地、和田宿の西の山にあるのが和田城である。


標高1000m近い南北に長い尾根状の山にあり、2つの部分に分かれる。比高は約200mある。
両者は約500m離れており、その間の尾根からは何本もの竪堀が斜面を下る。


↑ 豪快な竪堀が主郭と副郭間の尾根から何本も斜面を下る。

北側の古峯社が建つ場所が主郭であり、南端部分が副郭、後方警戒の城である。
武石大井氏がここに移り、和田大井氏を名乗り築城したという。その後、村上氏に従うようになったと思われる。
武田氏の侵略を受け天文22年(1553)落城、和田氏は武田氏に従うようになったという。廃城については良く分からない。


↑ 主郭背後の豪快な二重堀切

ではHP  和田城にて