茨城県常陸大宮市の旧御前山村と栃木県茂木町の間に境松峠がある。
そこに古道が通り、江戸時代の街道だった。

国境に松があったので境松峠と言われるようになった。

この筋の主要街道は北の那珂川沿いなのであるが、川沿いは洪水等、自然災害に弱い。
そこで山にバイパスがある。山の中の道の方が自然災害には強いのだ。


↑ 境松峠付近を通る横堀状の古道

しかし、今は誰も行かない。いや、行けない。
でも、頭のイカレタ管理人、誰も行かない、行けないと、行きたくなる。天邪鬼だ。
これも病気の一つである。まあ、自覚症状があるだけまともな方かと自負している。
世の中には自覚症状がない人が多いのだ。

この古道、バイパスとして使われただけではない。

峠付近に「めのう」鉱山があった。それでも栄えていたという。


↑これは久慈川の河原で拾った「白めのう」

「めのう」は江戸時代には火打ち石として重宝された。
江戸で使われた火打石である「めのう」は常陸産がほとんどだったという。
そのめのう鉱山が峠にあり、露天掘りのでかい穴が開いている。近世遺跡である。
まるで大型爆弾で爆撃したように・・異様な光景だが、もう草と藪に覆われている。

この付近には20年ほど前までには牧場があったというが閉鎖され一気に藪化が進んだ。
一番、繁茂したのは篠竹である。篠竹地獄で道も閉鎖されている。
そこを強行突破する。そんなことはお手のものだ。


ついでに城館があったというのだ。

数年前、別の城の調査で別ルートで行き、そこを通ったたのだが、城館とは気が付かなかった。
おそらく、牧場だったので放牧された牛により、曲輪などが崩されてしまったのだろう。
でも、よく観察すると跡が残っているのである。


ここに行ったのは2年前、2022年3月だった。HP記事を途中まで作って放棄されていたのでやっと完成さえた。
そんじゃ、HP 「須ヶ田館と境松峠」にて