ふざけた名前である。
名前だけで記憶に残る。

そういう城っていくつかあるけど、記憶に残る点ではいいかも?
「曲輪」「館」という名前の城もあった。忘れられない!
「城山城」「館山城」「要害城」ばかりじゃ面白くない。


この耳に残る名前の城を知ったのは盟友「らんまる」氏のブログである。
もちろん、名前からして城館としての遺構は想像通り大したことはない。


千曲川の南岸の台地上にこの城館がある。
真下を北陸新幹線八重原トンネルが通る。
ここ東御市は上田市と小諸市の間にある市である。

両市に比べると知名度は低い。

城館と言っても少し盛り上がった丘にすぎない。標高は679.2mと高い場所にあるが・・・。
比高は5m程度、周囲は水田が取り巻く。確かにこの形、鍋の蓋である。
航空写真なら一目稜線。


楕円形と言った方がよい。長軸約300m、短軸約150mの規模である。
当時、周囲は湿地だったと思われ、島のような感じであり、結構要害性があったからと思われる。

 

しかし、ただ車で通りかかっただけでは微高地に過ぎず、よく分からない。
この付近、そんな丘ばかりである。前に来た時は下調べもしなかったため、どこが城か分からなかった。
家に帰って調べたら、ちょっと撮った写真にちらりと写りこんでいるではないか!

くそお!

ということで、この城も俺のリベンジリストに入った。
けして規模でリストに入れるのではない。悔しいから入れるのだ。執念深い。
2023年11月、今度はちゃんと下調べをしてようやく到達。
もちろん、どうってことない物件だ。わざわざ行くほどの価値があるか?

でも、そこは意地だ。


畑でおっちゃんが立ちションをしていた。
小土豪の居館があったのかと思ったがそうでもないらしい。

元々、微高地であるため集落はあったと思われる。
そこを信濃侵略のための行軍中の武田氏が宿城に使った、あるいは、第一次、あるいは第二次上田合戦における徳川軍の陣城という説もある。
では近くの外山城と一緒に HP鍋蓋曲輪、外山城」にて

なお、
茨城県行方市の「小屋下城、石神城」潮来市の城に「新城
鹿嶋市の「小田辺城、明地野館、中城」 もアップしました。