昨日は息子の18回目の月命日、そして誕生日でした。
前日まで実家に泊まりに行っていて、その帰りに近くのスーパーに寄ったらお花が品切れ。
翌朝は仕方なく庭の水仙を大量に摘んで花束にしてお墓のお供えにしました。
念のためスーパーに再度行ってみるも入荷無し。
ガーデニングが好きだった主人が植えた水仙がどんどん増殖して
家の前と裏に咲き乱れているのです。
パパのだから、切って持って行ってもいいかな。
お墓参りでお掃除などしている時に、ふと、
事後2か月くらいで初めて行った自〇遺族の会のことを思い出していました。
子に限らず、家族を亡くした人の会でした。
一人、インパクトのある人がいました。
その人のことや、息子の成人してからの顔を思い浮かべていたら
涙が滲みました。
お墓参りの後は、実家の母の用事を済ませ、習い事に。
息子のためにゆっくり過ごすのは今日(3月10日)にすることにしました。
毎年絵を出品しているアマチュアの公募展があって、3年前と4年前は主人を見送ってからの
記念となるものを出しました。
その翌年は少し明るく黄色を主体とした絵を。
昨年は息子がいなくなってからのその時の私の心象風景を絵にしたものを2枚描きました。
今年はどうしよう・・・・。
ずっと考えていましたが、一昨日の夜、実家から帰った後、
一枚目の半分程度描いてみました。
今日はもう一枚、曼荼羅風のをゆっくり描こうと思っていました。
が、娘のところの孫一号が高熱を出し、留守番のため夕方から娘宅へ。
息子を偲んでゆっくり絵を描くことにはならず、午後の2時間くらい
鉛筆で下絵を描いて水彩絵の具で色を付けました。
「千の風になって」「命のうた」の他、息子が好きだったスキマスイッチの曲などを流しながら。
子供の頃の息子ではなく、成人してからの顔が浮かびました。
本当に、いなくなったんだ。
私には息子がいたのだ。
どちらも本当。
生まれた日のことも覚えているけれど、
思ったよりも短い時間しか一緒に居られなかったね。
絶望や失意の中で自ら命の幕を閉じるなんて思いもしなかった。
予兆や小さな芽、萌芽はあったのに。
大丈夫、見守るなどという言葉に置き換えて、油断してしまった?
止められなかったのか。
この後悔は消えないと思います。
息子はいなくなってしまったけれど
私なりのやりたいこと、行きたいところはあります。
それでも以前のようには心底熱中したり感動しきれず
感情をフラットに抑えて、無機質になっているのを自覚します。
後悔を消そうとすると自分に無理が生じる。
この後悔はこの先も抱えて生きていくのだと思います。
どこへ行っても何をしても誰と出会っても。
明日も少しだけ留守番に行ったあと実家へ行き
翌日母の耳鼻科受診に同行します。
母はお正月後の風邪から中耳炎になり、片方の鼓膜切開手術を受けましたが
もう片方も切開してもらうことになりそうです。
本当に耳が聴こえづらくなりました。
「え?」「え?」の連続です。
先日行った京都のこと、バスツアーのこと、息子の夢のこと等々
書こうと思いながら筆不精で結局流してしまいそうです。