うたのブログ

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2024年9月一人暮らしの息子が旅立ちました。
どうすればよかったのか。
私はこれからどうすればいいのか。

夫は令和4年(2022年)に逝去。
日記は2024年10月19日から始まっています。
フォローは大切な人を亡くした同じ境遇の方のみでお願いします。

昨日は玄関の前でおがらを燃やして送り火を焚きました。

その前の日に台所の片隅に立てかけてある苧殻を見つけて

「送り火をしなければ」と思いました。

でも「迎え火」を忘れていたのだなと思いました。

気合が入っていないことを自覚しました。

でも後で思い出してみるとこのところ毎晩雨が降っていたのでした。

 

もう数日遡ってみると・・・

 

●11日に映画「箱の中の羊」を見に行ってブロ友さんとお会いできて

昼食は息子との思い出のお店で食べたあと

一旦帰って、郵便局の本局へ叔父の新盆のお供えのお金を送りに行きました。

母と、その上の叔母と、私からのを一緒に。

雨が降り始め、車でデパートへ行き、お金とは別に母から頼まれたお菓子を叔父へのお供えとして

送りました。

 

12日、今年2月に亡くなった同期の男性の新盆に何か送ろうと思いました。

思い出を振り返って、奥様宛パソコンで手紙を書き、いざ印刷しようとするとインク切れ。

この前から買おう買おうと思っていた・・💦

仕方なく手書きで。

右手の小指の怪我がたたってペンをうまく持てないのだけれど、書きました。

 

雨の中車でデパートへ。

お菓子売り場で手紙の同包を頼み伝票を書くところで

あ、あ、なんと奥様のお名前の字が違うことに気づきました。

でもこれから帰って書き直すと今日の発送に間に合わない。

仕方なくお手紙の最後にお詫びを書き足して手続き完了。

ほっとしました。

 

帰宅途中の実感。

叔父も同期のAさんも、心から冥福を祈りたい人たちで

新盆に気持ちを届けられたことは満足。

でも私が息子を亡くしていることは誰も知らない。

この圧倒的な事実が、私の選んだ関係性なのだと。

 

自ら旅立った人の遺族はこんなふうに硬直した思いに直面するのだと。

翌日叔母からお礼のメッセージが届きました。

1度しか会っていない人だけれど、叔父ともっと話したかったことを伝えました。

 

数日後、携帯に知らない番号が。

同期のAさんの奥様からでした。

手紙とお菓子へのお礼の電話でした。

 

手紙に書いたお名前の字が違っていたことを平謝りしましたが

気持ちよく受け流してくださいました。

 

子供はなく、夫婦お二人の生活だったのは年賀状で知っていました。

私は奥様とは面識がないのですが、同じ会社だったこともあり

闘病の話や思い出話が尽きない感じでした。

抗がん剤を飲みながら自宅療養していたAさんが

最期の日「もう あかんわ」と言って旅立ったというお話。

 

数年前Aさんとお電話で話した時は、癌を切除した後で調子がよかった。

 

しっかりされたお声で、時折涙ぐまれ。

この携帯番号は夫であるAさんの電話のもので、

まだ生かしておくので、いつかきっと連絡して立ち寄ってほしいと言われました。

私の方も、こちらに来られた時はご連絡いただければ他の人と集まりますよ、と。

 

祖母や父の法事では一族が集まってにぎやかに飲食し

祖母が呼び寄せてくれたのだと皆で笑ったりしましたが、

息子のお盆は静かで、私もゆったりと過ごしました。