小豆島と欽ちゃん | 瞳 まもるのブログ

瞳 まもるのブログ

ブログの説明を入力します。

 週刊文春2023年3/9号でしたか、萩本

 

欽一氏連載、              

 

「欽ちゃん81歳の人生どこまでやるの!?

 

 第43回」

 

で、父親が小豆島出身と仰っていました。

 

 僕は、小学生の頃から、両親の話の中で、

 

  「欽ちゃんの親元は小豆島」

 

というのを幾度か聞いていました。

 

 でも、テレビ、雑誌でそれを見聞きしたこと

 

は一度もありませんでした。萩本氏が

 

 「視聴率100%男」

 

と呼ばれていた頃、アイドル系雑誌に、氏の

 

生い立ち、現在に至るまでが、漫画で紹介され

 

ていました。

 

 そこでも、彼が生まれてからの父親について

 

は描かれていましたが、出身地までは、触れら

 

れていませんでした。

 

 なので、僕は長らく、

 

 「萩本という姓が町内に何軒もあることか 

 

  ら、勘違いしているのだろう」

 

と思ってきました。

 

 でも、この、彼自身の言葉で、それが本当だ

 

ったと、初めて分かりました。僕は、長い間、

 

両親を信用せずにいたのです。申し訳ない限り

 

です。

 

 そして、このことを知って、今更ながら、

 

彼を、より身近に感じる様になりました。

 

 テレビの「欽ドン!」、「欽どこ」、

 

「週欽」と、楽しんで見ていました。

 

 ラジオも、チューニングダイヤルを操作中、

 

偶然、その存在を知った、         

 

 ニッポン放送「欽ちゃんのここからトコト

 

ン!」を、約3年に亘って、毎週、微弱な電

 

波、電波障害、混信の伴う中、熱心に聴き続け

 

ました。

 

 プロ野球オフシーズンの番組なので、ある

 

年、楽しみにその周波数にダイヤルを合わせた

 

ところ、番組がありませんでした。実に、残念

 

でした。

 

 ここまで、「欽ちゃん」のことを書いてきま

 

したが、彼を知ったのは、小学生時代、コント

 

55号時代です。勿論、「二郎さん」、坂上二

 

郎さんも好きで、

 

 「なんでそうなるの?」

 

も、毎週見ていました。そう言えば、あの

 

 「裏番組をブッ飛ばせ!!」

 

も、布団の中で見ていました。

 

 最後に。                  

 

 「欽ちゃんの親元は小豆島」

 

こう言っていた両親。同じ町内か、隣町か、そ

 

こまで知っていたのかどうか?町内なら、実に

 

近い場所になります。訊いておけば良かったで

 

す。