カメラ発明記念日 | 瞳 まもるのブログ

瞳 まもるのブログ

ブログの説明を入力します。

 3月19日は、カメラ発明記念日だそうです。

 

我が家の家族が写る写真は、母の弟(僕から

 

言えば、叔父)から譲られた、キャノン デミによる

 

物で、これを使い、父が撮影したのです。因みに、

 

このカメラ、僕と同い年生まれです。

 

 やはり、僕たち兄弟の写真が多く、笑顔で

 

納まる自分たちの顔を思い出し、

 

 「幸せだったんだなあ」

 

と、懐かしくなります。

 

 母も、珍しく、笑顔でポーズを取っている物が、

 

何枚かありました。

 

 僕が幼稚園年長の年に亡くなった祖母の写真

 

も、1枚だけありました。幼い兄を膝の上に乗せ

 

て、笑顔で写っていました。

 

 他に、地元の秋祭りや、1970(昭和45)年、

 

幼稚園年少の弟と母を残し、父、兄、僕の3人で

 

行った、大阪万国博覧会にも、勿論、このカメラを

 

持って行き、数々のパビリオンの写真と共に、僕

 

と兄の写真もありました。

 

 こんなに、貴重な家族の日常を記録してきた、

 

このカメラ、あろうことか、僕が触っていて壊して

 

しまい、以降、1枚も、写真が残らなくなってしまい

 

ます。僕が小3か4の頃のことです。本当に、反省

 

するばかりです。

 

 以降、

 

  「カメラが欲しいなあ」

 

と思いながら過ごす日々。

 

 僕が小4の冬、そのカメラの贈り主である叔父

 

に会いに、父、兄と僕(奇しくもと呼ぶべきか、万

 

博の時と同じ3人)で、京都へ行きました。その

 

際、叔父のカメラで3人の写真を撮ってもらいまし

 

た。久々の家族の写真です。

 

 翌年春は、父を残し、前年行けなかった、母、弟

 

と共に、4人で、再び行きました。そこでも、やは

 

り、家族の写真を撮ってもらいました。

 

 だいぶ前にブログに書きましたように、当時は、

 

高校入学時に、腕時計を買ってもらうという習慣

 

がありました。キャンペーンも華やかで、兄の時は

 

白いギター。僕の時は、ポケットカメラ。これで、本

 

当に久しぶりに写真が撮れるようになりました。

 

 でも、そこは、やはり、ポケットカメラ。写りは、

 

あまり、良くありません。

 

 翌年、自分の貯金を元手に、遂に、本格的カメ

 

ラを買います。

 

 それが、オリンパス0M10。将来、色々、交換

 

レンズを増やして行きたいと思い、1眼レフにしま

 

した。

 

 これで、思いっ切り(と言っても、予算の都合も

 

ありますが)、写真を撮りました。

 

 花、風景、友人たちとの旅行先での記念、そん

 

な中、最も嬉しかったのが、猫が子どもを産んだ

 

時です。

 

 人が行けない、部屋の奥の方から、親猫が戻っ

 

て来るたびに聴こえる、可愛い可愛い鳴き声。そ

 

して、しばらくして、子猫たちが姿を現してくれた

 

時。この時は、撮影枚数が、ぐ~んと増えます。

 

 そして、社会人になり、自分で貯めたお金で、

 

念願の、キャノンデミの修理を実現しました。

 

 このカメラ、ハーフサイズカメラで、通常のフィル

 

ム1コマで、2枚撮影するようになっています。

 

 その点と、小さくて可愛いく、持ち運びにも便利

 

な点とが好きで、ハーフサイズカメラブームの

 

先鞭となった、オリンパスペンのEE(自動露出)

 

版の、ペンEESを購入します。(勿論、中古で)

 

 こうして、3台のカメラを使い分け、実に多くの

 

写真を撮りました。(他に、オリンパスの、通常

 

コンパクトカメラ、トリップ35も購入しました。)

 

 また、昔のカメラ全般が好きで、そのムックも

 

たくさん買いました。

 

 写真は、本当に、その日、その時を思い出させ

 

てくれる素敵な物です。我が家にも、僕が壊して

 

使えなくなったと言っても、それまでに父が撮って

 

くれたたくさんの写真が、そのネガと共に、納戸の

 

タンスの中にありました。ネガさえあれば、焼き増

 

しも可能でした。

 

 「ありました」、「可能でした」・・・過去形です。

 

度々、当ブログに登場する、兄によって、タンスの

 

中身も見ずに、捨てられてしまいました。

 

 僕がそれを指摘すると、

 

 「中を見た」

 

と言いましたが、それは、嘘です。何しろ、昔の

 

紙幣、記念硬貨、弟の実印が入っていた箱を、

 

中身を見ずに捨てたのですから。

 

 この件については、まだまだ書きたいことが

 

ありますが、止めておきます。

 

 想い出は、心の中に、いつまでも残りますが、

 

それでも、実際の写真を見れば、鮮やかに甦る

 

 

物があるでしょう。それが、二度と叶えられなく

 

なってしまったのです。