跡形もなく消えていた校舎 | 瞳 まもるのブログ

瞳 まもるのブログ

ブログの説明を入力します。

  隣町にあった小学校。ここは、全国的に見て、

 

 割と早いうちに校庭全面芝生化になりました。

 

  また、校内全面禁煙の実施も早かったです。

 

  これらに取り組んだ当時の校長先生が、弟の

 

 1~2年生時の担任でした。統合により閉校と

 

 なってしまった母校の記念誌に、この先生の

 

 文章があります。

 

  「高学年の受け持ちが多かったので、校長先生

 

   に懇願して新入生を受け持たせてもらった」

 

  僕の初期のブログにありますように、弟の教室

 

 で、十姉妹、文鳥、ベニスズメ、カナリアなどを

 

 飼育、これが、僕が小鳥を好きになったきっかけ

 

 でした。

 

  また、先の記念誌中に、

 

   「『蛍を見たことがない』と言うので」、

 

 クラス全員を中山地区に連れて行って見せて

 

 くださったり、そこで肝試しをしたこともあったそう

 

 です。

 

  この先生、先にも書きましたように、弟が2年生

 

 の時限りで、転任してしまいました。みんな、さぞ

 

 や寂しく、悲しかったでしょう。その後、何かの

 

 用事で、この先生の車が来た時、みんな、駆け

 

 寄っていました。映画「二十四の瞳」で、大石

 

 先生が歩いている子どもたちに気づき、バスから

 

 降りてきたところへ、子どもたちが「せんせー!」

 

 と言って駆け寄って行くところのように。

 

 

  僕にとっても、この先生が、科学クラブ担当で、

 

 4年生になるとクラブに入れるので、それが楽し

 

 みで、4年生になり、入れて嬉しかったです。

 

 でも、僅か1年で、先生の転任により、そのクラブ

 

 自体が無くなってしまい、残念でした。

 

  こんな思い出から、この先生が、そこの校長を

 

 お辞めになった後も、親近感を持っていました。

 

  先日、何ヶ月ぶりかで、その前を通ると、

 

  「校舎が無い!」

 

 跡形もなく消えています!

 

  ここも、児童数の減少により統合、閉校になっ

 

 てはいましたが、緑の芝生はきれいに、僕の目

 

 に映っていましたし、僅か1~2年しか経って

 

 いないと思います。

 

  「校舎をそのまま残しての活用方法を選択

 

   することはできなかったのか」

 

  校舎近隣の住民の殆どが卒業生でしょう。

 

 その人たちが、取り壊し工事を見ていて、どう

 

 感じたことでしょう。僕の母校(小学校)が取り壊

 

 し工事をしている最中その前を通った時、80代

 

 と思われる、恐らく、卒業生でしょう。「気を付け」

 

 の姿勢でそれをご覧になっていた姿が思い出さ

 

 れます。

 

  例え、校舎自体が無くなっても、そこであった、

 

 数々の思い出は、いつまでも、心の中に残り

 

 続けます。でも、やはり、残してほしい校舎です。

 

  僕が通った幼稚園、小学校、中学校、全て取り

 

 壊され、別の物が建っています。残されたのは、

 

 高校だけ。誰もいない、ひっそりとした校舎、

 

 校庭。その前に、道路に面して設置されている

 

 記念碑が、まるで、墓標のようです。ここも、

 

 いつか、取り壊される日がきてしまうのでしょう

 

 か。考えたくないなあ。