今日6月23日は、沖縄で、組織的戦闘が終わったとされる日です。毎年、こ
の日、摩文仁の丘で、全戦没者(敵も味方も無い)追悼式が行われます。日本
唯一の地上戦があり、「平和の礎」には、一家全滅を示す名前も刻まれていま
す。その殆どが一般市民。戦争指導者、A級戦犯でありながら、アメリカとの取
引により、戦後も政界に生き残り、その血を引く者が大勢いる現国会議員。その
中の1人、安倍首相、「沖縄の方の心に寄り添い」、辺野古の海に杭を打つとい
うのでしょうか。
僕が初めて沖縄戦を知ったのは、小1の時。TVドラマ「慟哭の花」を母と一緒
に見ていてでした。ひめゆり部隊のみなさんの実情、子どもではありながら、画
面に引き込まれました。
母は、僕に、よく戦争当時の話をしてくれました。「バケツを引き摺るような音で
B-29が編隊を組んで飛んでいた」、警報で避難していた場所から、高松大空
襲の、焼夷弾が落とされているのを見ていた話。その時、親戚が煙草を吸いな
がら、「もう、負けとられ(負けているよ)」と言った、「日本は取られてもええから
、小豆島だけ残してくれんかなあ」と言った親戚に、父親が、「日本が全部取ら
れて、小豆島だけ残ってどうするんぞ!」と怒った・・・・・・。
配給で魚のエイが入ったが、「水っぽくて、おいしくなかった」、子どもの時、
中国で日本が勝ち続け、町内で提灯行列をすることになった時、身内の女性が
「今日だけはやめてくれ」と言って、「どうして?」と尋ねた母に、「息子が戦死し
た」と答えた・・・・・・。
この母の話を聞き、育ってきた僕は、子どもの頃から、戦争絶対反対、平和
がとても大事と考えるようになりました。そんな母の誕生日も、同じ6月23日で
した。毎年、母の日には鉢植えのカーネーションを贈っていました。今では、カ
ーネーションは、お供えするものになってしまいました・・・・・・。