モール入口の七夕の短冊に書かれた願い事を読ませて頂きました。半分以上が健康でありますようにとの願いで、少しガッカリ。今も昔も(?)おとなの願い事は、健康が一番なのでしょうね。(*1)


 そう言えば、年令と共に願望が減ってきています。仏教学者の佐々木閑氏によると、体力の衰えと共に願望も欲望も薄れる事で自己防衛しているということです。若い時のまま、願望や欲望を持ち続けると、普通は現実とのギャップが広がり、苦しみが増す一方となる。だからこそ、年令を重ねることで、欲望も衰え、苦しまないようにバランスがとれている。


 年令と共に生きる意欲を少しずつそぎ落とし、老いてゆくと言う自覚を受け入れながら、やがて穏やかに命がつきるようになっている。「生」への執着が薄れる事は「無我」の境地へ近づくことで、人間として修行が進んだことを意味する、と言います。それは釈尊がたどった修行の道の追体験なのだ、そうです。(*2)


 枯淡の境地にはほど遠いのですが、なるほど、と納得してしまうのは、いよいよ高齢も後期の入口に立った証です。


 でも、ですよ。今の無事に送れている生活に満足し、大いなる感謝の後に隠れてしまって居る「願い事」を掘り起こして書けと言われれば、多分、すぐに短冊20枚ぐら

い書けそうです。まあ、それぞれが雑念に近い小事や小欲にくらんだ願い事で、結局願望は数を減らしたのではなく、か細くなっただけのようです。


 健康のために「糖質ダイエット」「完全食ダイエット」(*3)30回咀嚼、たっぷりの野菜から食べるetc、「~しなければならぬ!」と修行のように励んでいる毎日は、逆の修行僧のようです。


 実は「健康」は目的ではなく、「幸せに生きる」為の一つの条件であり手段なのだと思っているにも拘わらず、健康修行はやめられません。


 多くの賢人が、悔いを残さないよう「その日を精一杯生きよ」と仰っています。確かに終焉を意識し始めて、この言葉が身にしみるようになりました。でも、日が暮れてくると「精一杯楽しめ」なんて聞こえてくるのです。一献傾ける幸せから、やがて「無我」の境地へ、これって、お釈迦様に近づいているのでは?いや、やっぱりあの世かな?


 *1:七夕に相応しく、恋人との出会いや円満がその次で、子どもの願い事も夢があるようなのは、数えるほど。「ドラゴンになりたい」「ウルトラマンになりたい」「人魚姫になりますように」ヤッパリ「スケボーで世界一!」なんて、読む方も元気になります。


 *2:佐々木閑(花園大学文学部仏教学科教授)別冊宝島「人生に悔いを残さない」より


 *3:完全食(日清食品完全メシ)を約1ヶ月試してみましたが、体重グラフは横ばいでダイエットにはなりませんでした。