出羽三山にいってまいりました。羽黒山、月山、湯殿山というなぜか3つの山が修験道と
なって大いに栄えたようです。
 

江戸時代は、伊勢参りに次いで詣でが盛んだったようです。芭蕉の足跡もありました。

三山の意味は、羽黒山が現世で、先ず死ぬんです。そして月山が過去、胎児に戻ります。

湯殿山が未来、生まれ変われるのです。
 

従って、山伏は死に装束の白をまとって月山を目指します。約2千mまでの頂きまでは、緩
やかですが、過去の所業軋轢を内省するには十分の道程です。


さらに、生まれ変わりの産道である湯殿山への下りは、鍛冶月光、金月光、水月光という急
坂、難所が待ち受けています。なんとか下りきると、素足になって参拝する人、さらに「語るな
かれ,聞くなかれ」の巡礼者に出あったら湯殿山に到着で、生まれ変わりました。(*1)


まあ、今で言うリセットです。70齢にして新たな人生を歩ませて頂けることになりました。

ガンの再発や新たな発症から3年、東北の山への挑戦と言うチャンスを頂けました。
その山がなんと、人生のリセットの山だったのです。


日本人はユニークなことを考えますね。伊勢はおかげ参りで、出羽三山は人生の

リセットです。


今、GoToキャンペーンが流行していますが、元々日本人は旅行好きだったようです。
江戸時代の伊勢参りは、今のGoToキャンペーンより使い勝手が良かった様で、伊勢参りの通行手形があれば、どの関所も通れ、どういうルートを巡ってもよかったようです。弥次喜多道中よろしく、途中寄り道しながら、京都や大阪見物を楽しむ人も多かったようです。

さらに、道後温泉まで足を伸ばすルートまでできたとのことです。(*2)

 

         

     

 

当時農民は、その藩の社員として、農作物はもちろん、農閑期には、縄やムシロ、機織りな
ど、殿様にとっては休ませたく無い訳です。従って、農民の移動は厳しく制限されていました。
商人にしても奉公人を休ませるのは盆と正月。でも、伊勢参りだけは禁止できなかったといい
ます。
 

外国に敵を作ることが、庶民の不満を鎮める権力者の常套手段ですが、それを使えない鎖
国時代の庶民のガス抜きとして、伊勢参り等は大変有効だったと思われます。
 

GoToキャンペーンは観光・宿泊・交通の救世主的な役割だったのですが、どうも私たち庶民

のコロナ自粛の鬱積した気分の、かなりうまいガス抜きとして機能し始めている様に思いま
す。
 

コロナ対策に対し、政府が何も説明しなくなった中盤戦以降(中盤どうかわかりませんが)、

批判を繰り返していたマスコミは一人負けのようです。いや、マスクやトイレットペーパー騒動などの際、行列を愚衆扱いしていたワイドショーに代表されるマスコミの尻馬に乗ってしまった私も同罪。
 

実はその頃並んでいた人たち、妙に落ち着いたインタビューの回答者ばかりで、要するに非常時に対して「普通の生活防衛手段」として並んでいたんだ、と反省することしきり。

 

  

 

裏を返せば、長年の不況を乗り越えるため、流通市場が粉骨砕身で合理化し、効率を極めた
結果、流通市場に「遊び」が無く,日常から少し逸脱するだけで対応しきれない経済が問題なんだと言えます。
 

災害国日本は、逆境に対する対応能力に長けていたはずですが、余力を失っているようです。今回のコロナとの闘いでは、賢明に振る舞っているのは民衆で、その復元力を頼っているのは、今のところ、愚政と愚経です。あ、済みません、ジャッジした愚生も同じ穴のムジナでした。
 

*1:湯殿山は、写真撮影禁止で「語るなかれ」のしきたりに従って、ムムムでした。
 

*2:抜参りと言って、親や御主人に内緒で参詣しても、伊勢参りであったら許されたのです。しかも、沿道の施しを受けられる時期もあったとのこと。江戸後半では、伊勢に限らず「~詣で」が盛んになり、それには「御師」の活躍によるところが大きいようです。今のJTB等の旅行社が村々を周り、しかも現地で案内と宿坊で歓待した人たちです。