朝来市にある雲海の竹田城に行ってきました。

朝4時に起きて旅館から1時間、更に山に登る事約40分そろりそろりと夜が明けてくるにつれて、雲海が下り、勇躍表した姿は確かに天空の城ラピュタのモデルになったのが分かります。

 

あとで分かった事ですが、雲海に浮かぶ勇姿は中々見られない日が多いと聞きました。
竹田城を世に知らしめた方「吉田さん」がその日も撮影に来られていて、「NHKから頼まれている絵を今日のに差し替えよう、それほど今日はラッキーですよ」と言って下さいました。


回りを消し去る雲海と石垣だけが残ったその佇まいに、多分日本人は、かつての栄華を偲び、その荒れ姿にものの哀れを感じ取る事が出来るのでしょう。滝廉太郎の「荒城の月」が頭を徘徊します。(*1)アルプスの雲海は、この世と思えない美しさに感動するのですが、また違った感動がありました。
今年も最早師走、疾走する「時」の余韻に浸る虚空な時間を引き裂き、現実に戻してくれたのは、やはり家内です。「いつまでボーッとみているの!」


ハイ! ビックリゴーン、50億の報酬が有りながら更に上乗せ報酬が欲しい、なんぞ!現実は欲の留まりを知らないようです。

 

インドでは大昔、お釈迦様は執着する心こそ、  「苦」を生むと看破され、悟りを開かれました。でも日本人は災害の多さから、世の中の流転を知り、人生の変移を俯瞰していたのです。それも民から為政者まで、天才だけではありません。民族として遺伝子が組み込まれたのでしょう。全員がある種の達観、と言うより諦観を持っているように思います。


しかし、現代は未だに成績が良い学生から医学部を目指し、塾なども成績上位から医学部を勧めるとの事です。最も倫理観の必要な「医=仁術」という志なく<人の命を預かる>医師が生まれてきています。別の産業でこそ生きる、高い知性が「医」に偏在する事は、日本の大きな損失でしょう。


今やそのことだけをとっても高収入への執着が、諦観というブレーキ無く蔓延していることの査証だと思います。でも、私たち団塊は医療から卒業し、介護や終焉に向っているので、このまま医師を生み続けたら、遅くとも20年後には医者は確実に余ります。今医師になった人たちが働き盛りになった頃、縮小する業界で過当競争をくり広げ、価値の変遷という流転が待ち受けているでしょう。未来予測の中で人口統計だけは裏切りません。


大河ドラマ「西郷どん」が終盤を迎えました。そこでも描かれていますが、明治創生期、一流の様々なジャンルの外国人が指導、教育のため招聘されました。そんな彼らが一様に驚嘆しているのは「裕福ではないのに幸せそうに生きている」「貧乏に付き物の不潔さが見られない」と言う事でした。欧米に経済的に劣っていたにも拘わらず、彼らをもって心腹させることが出来たのです。


トランプ氏を代表して経済的利益の優先が当面くり広げられそうですが、実は 「今」に幸せを感じられる感性こそ最も大切な事なのでしょう。出来れば私たちがかつて師と仰ぎ知識を享受してきた中国が、覇権と経済第一の泥沼から脱出してくれる事を祈ります。


幸せな生存は経済が豊で無いとあり得ない、は妄想で、渇愛(生殖・生存・死)から逃れる事、苦の消滅が「涅槃」なのです。(*2)

お釈迦様によると、今私の言っているような事は「戯論」であって真実は「無記」、何も言わない事。「行為」を導くものだそうです。どうもキリストも同じ趣旨の事を言ったらしい。

 

難しいので分かりませんが、まあ私事、経済や世の中に関係なく、一歩一歩着実に涅槃=生きては得られないだろう境地=彼岸・死に近づいている事だけは無記、記する事なく感じています。でもまあ来年も元気で迎えられそうです。


今年一年誠に有り難う御座いました。皆様にはお元気で良い年を迎えられん事をお祈り申し上げます。


*1:滝廉太郎のモデルは大分県の岡城址。そこにも行って見たいものです。(仙台青葉城、会津鶴ケ城にも碑があるそうです)

*2:生命保険会社の調査で、調査名は忘れましたが、幸福度と収入の相関関係を調べたものがあります。
それによると、収入が増えるに従い幸福度は上がりまつが、歩調を合わせているのは800万円まででした。それ以上増えても幸福度は上がらないようです。

 

東寺蒸し

 

鰆(さわら)ですが、多分その幼魚のさごしを使い、

東寺蒸し(湯葉蒸し)餡は抹茶風味でわさびが添えてあります。
琵琶湖ホテルのレストラン「おおみ」のディナーで味わった、蒸し物一品です。

 

  大塚滋