皆さん、煮卵は作られますか?
実は、その汁で作れる料理の一つです。
柔らか肝煮 (作り方はその2へ)
鶏肝を取り上げました。術後貧血気味のため、鉄分を含む食品を取るようにしている中で、一番好きな食材なのです。好きなのは血のかおりで、普段は生姜を入れずに作ります。80度以上あげないことが「きも」です。
「きも」はそれこそ、肝心・肝っ玉等と重要や主要という意味から、肝が据わる等と胆力や気力を表す言葉が多くあります。その「肝」を、若者たちは“キモい”とマイナスイメージで使うことで言葉の印象を強める使い方をしています。逆に“やばい”はプラスに転じて使うことで「すごい」ことをより刺激的な言いかたとして使います。
どうも若者は、言葉の位置づけがより粗暴で荒々しくきつくなる方に振れているようです。特に仲間内の言葉であったのが、ネット上で拡散して使われて、第三者が触れるとギョッとするような表現となりでびっくりします。
他方、若者の好きな言葉は「ありがとう」が断トツで一番。ありがとうだけでは足らずニコニコマークの羅列という過剰な使い方をされているのは、かる~く見てほしいとの気持ちでしょうか?
「ことばの遊び塾」を主催されていた半沢幹一氏(*1)は、「過密な人間関係から逃れたいという思いが単発的な強い言葉となってどんどんエスカレートしてゆく。それがネットという開かれた手段を得て個人的な鬱憤を晴らす誹謗中傷の言葉を飛び交わせ、社会問題化している」さらに「気分を表す言葉をたっぷりもっていても、自分の考えを表す言葉となるとまだまだ発展途上といったところです」と分析しています。
「たっぷりもっている気分を表す言葉」は自分への言葉であって、他人の気分を慮っての温和な表現力も不足しているのでしょう。
偉そうなことは言えませんが少なくとも、私達の学生運動の頃、「マルクスは常識」、と訳のわからないまま読んだ見栄や突っ張りがありました。
世は軽いもの、単純なものへ、「癒やし」にこぞって向かっているのかもしれません。鋭さは増すが、深さはないのは、政治の世界でも変わりません。かつての小泉首相の「白か黒か」以来さらに顕著になっているように思います。
少し話は変わりますが仕事に向かう姿勢が「やったことありません」「ちょっと難しいです」とチャレンジを避けようとするのも同義のように思います。重く感じる「責任」を回避しようとする傾向があります。また我々の時代の話になりますが、「やらせて下さい!」「何でもやります」と手を上げたものです。仕事をもらえないほうが不満でした。
若さに任せて挑戦し続けるほうが、万一失敗しても自分の糧となって成長につながり、やがて自信につながって行く筈です。
でも今の若者(と一括りにはできないでしょうが)は、昔より賢くなって現実の厳しさをより想像することができるようになった。そして、その厳しさに挑戦することは「面倒だ」という感覚と共に、より「責任を負いたくない」という潜在意識が強くなっているのではないかと思っています。
会社、もしくは社会の活動には、責任が伴います。責任回避といえば若者だけではありません、大人の世界でも芋づる式のスポーツ界や加計問題(*2)など官民を含めたリーダー達のあまりにも無責任な言動が目立ちます。
実はリーダーに必要なのは抜きに出た資質や能力がなくとも、責任を負う強い覚悟があることではないかと思っています。
まあ、そこまで権力や利権のない我々弱小、というよりのし上がる能力のないリーダーの私などは、日頃よりバカにされて、恥ずかしさが麻痺したがゆえに、有能なスタッフが助けてくれているのでしょう。これ実感です!
*1:半沢幹一氏・日本広報協会広報アドバイザー、「ことばの遊び塾」は共立女子大助教時代主催
*2:加計氏の説明責任を果たしたとされる会見は、極めて戦略的なものでした。岡山での会見は、2時間前に通達し、地元の記者のみTV局は拒否、しかもその日は、サッカーワールドカップで対コロンビアとの試合がある日、前日には高槻枚方の地震が起こったタイミングです。
まあ会見自体に期待はしないとしても、言語道断なのは文書改ざんでしょう。その責任は??イタリアの高速道路崩落の責任を問われてあくる日に逮捕者が出たのと大違いですね。



