以外と簡単な”ビシソワーズ”、手軽にレストランの味が楽しめます。
是非チャレンジしてみて下さい。

 

 

 

 

  

バターでタマネギとネギを炒めます。白さが命なので焦がさないように炒めます。


                       

更に、ジャガイモを加え透明感が出るまで炒める (写真はもう少しかな)

 

ミキサーがあれば滑らかになるまでかけて下さい。手持ちが無いのでフードプロセッサーでつぶし、更に漉しています。

 

ざらつきがなくなるまで漉せたら、牛乳を加え冷蔵庫で冷やします。

 

 今回は冷製スープの代表である「ビシソワーズ」夏の食欲が落ちたときにうってつけです。
元々フランスには冷たいスープは無く、アメリカに渡ったシェフが、昨夜の残り物で作ってくれたおばあちゃんのスープを思い出して作ったのが始まりだそうです。(*1)


 どこの国でもおばあちゃんは偉大です。いろんな知恵を持っていました。
今必死になって孫達にどんな知恵を授けられるだろうかと考えていますが、結局、生き様しか見せることが出来ないですね。そんな世代間の知恵の継承が薄れる中、問題は、ズーッと危惧している日本の学校教育です。

 

 様々な業界で、業績や成果を上げた日本人には、海外で教育を受けた人が多いのは、その査証でしょう。才能の問題でないことは自明ですね。例えば、ノーベル賞受賞者は全員アメリカの大学で研究された方々です。(*2) もっと言うとアメリカ国籍を取られ永住されている方まで日本人受賞者とするのはいかがなものでしょう。教育や研究する環境や資金を出さないで、業績を上げたときだけ日本人としてカウントするのはおかしいし、優秀な人材の流出を恥じるべきです。


 そもそも、文科省が定めたたった一つの指導要領に日本中が従うことがおかしいのです。パン屋を和菓子屋に書き換えさせた文科省のお手本とする時代は明治維新にあります。しかし、幕末から明治の卓越した志士たちは、実に15,6歳から活躍し始めていますし、学校教育なんぞは受けていません。


 個人が国家を超える経済を形成し莫大な富と雇用を生みだす現在の世界では、平均値が高い人材を多くではなく、少数でも傑出した人材を育成しなければ、国家百年の計はないと言うのが大前研一氏の持論で、賛成です。ただ、志のある若者はそのような海外の大学に行くべきだとも仰っています。でも海外で活躍の場を得た人が帰ってくるでしょうか。傑出した人材のイチローは日本では見られません。、京都学園大学というローカル大学を、世界ランキング10傑にすべく、全く違う発想で作り直すという永守重信氏に期待しましょう。


 日本の改革期である明治は、いっぱい外国から先生を呼んで教鞭を取らせました。他にも外交官をはじめ、技術者や建築家などたくさんの外国人が日本を訪れています。実はその頃はじゃんじゃん外国人から学んでいたのです。


 ところで、そんな外国人が一様に日本のことを絶賛しています。特に秀でた人物達ではなく、庶民に驚きを感じていたのです。森田健司氏によると、「規則正しく生活し,掃除好きで清潔、勉強好き、裕福でなくても幸せそうに生きている」(*3)


 裕福でなくても幸せそうとは、なんか日本人らしくて感動的なのですが、今のインバウンドブームの外国人もそのようなイメージに憧れてきているのでしょうか。今はそんな良さも消えていそうな気がしてなりません。


 その続きに曰く、「世界のあらゆる国で何時も貧乏に付き物になっている不潔さというものが、少しも見られない」という下りに、これぞ日本という思いをしました。社会見学と称して会社全員で、昔、天王寺のホームレス街を見に行ったことがあります。その時、段ボールで作られた家の周りだけでなく、その街(?)は掃除が行き届き、ゴミ一つ落ちていないのです。その公徳心の高さをみんなで共有していることに感動したものです。


 今も貧乏と不潔は関連が薄いようですが、高齢と不潔さには相関関係があるように感じています。京都弁の「じじむさい」が不潔と同義語ならないよう頑張ります。(*4)


*1:ヴィシー出身のリッツカールトンのシェフ、ルイ・ディアが子供時代を思い出して作ったそうです。
*2:正確には、川端康成と佐藤元首相のお二人以外です。
*3:大阪学院大学教授 「外国人が見た幕末・明治の日本」 (菜図社) 参照
*4:「じじむさい」とは、みすぼらしい、垢抜けしない、むさ苦しいという感じで使っていました。「じじくさい」と同義語だと思いますが、決して不潔という意味はありませんでした。

 

    大塚滋
 

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