この原稿がお届けする最後となります。


 本当に長い間、拙文にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。どんなヤツが経営してるねん、と言う問いに答える意味で、また会社を身近に感じて頂けるように、と始めたブログです。

 

 かつて、21世紀は日本の世紀になると書いた覚えがあります。日本は、自然と「共生」と言う考え方に立脚しています。そんな日本こそ、世界各国に、共に生きようと訴えかけることができる存在で、橋渡しになれると信じてきました。でも、ここ十数年は、愚痴ばかりになるほど、凋落は顕著で、目に余るようになってしまいました。結局、気が付けば米国が「アメリカンファースト」と叫べば、日本も自国第一と小さく縮こまり、追従している様に見えます。(*1)


 ここ30年の成長率なんぞは、内戦ばかりしている国と肩を並べる様な最下位に近く、他も絶望的数字が並びますが、一筋の光明を歴史学者の磯田道史氏が述べています。江戸時代、日本に来た外国人が驚いたのは「遊び上手」であり「豊かな自然」がある、それこそ日本の復活の道になるのではないか、と述べています。AIなどの技術革新が普及し労働から解き放たれたら、三昧や道楽という報酬を期待しない遊びが重要で、その系譜が「おたく」文化である。と言うわけです。(*2)


 コロナ前のインバウンドを経験して、日本文化はもっとブランドとしてもっと高く売れると、みんな薄々気が付いている筈です。なんの手立ても無く、再びインバウンド公害に見舞われそうな今、IR(統合型リゾート)何てやめて、主だったところを観光特区としてしまうのです。入村料100万円程取れば少ない人数で同等以上の観光収入が得られます。
昼は伝統芸能を見せるだけで無く、田植えなど庶民生活体験と、夜は寿司など上げ膳据え膳、大名生活を体験できるツアーを円安だから300万円~500万円で作れば世界のセレブが殺到するのでは、と夢想しています。


あなた!夢と現実が分からなくなっているんじゃない!ちゃっちゃと洗い物済ませて、買物してきてちょうだい。」
うーん、夢か現実かそれが問題だ、一杯飲むぞー!


*1:地政学的にも、西欧との関係とも、ロシア・ウクライナの停戦の仲介が出来る唯一の国だと思うのですがね.国際的プレゼンスも地に落ちています。原爆を落とし無差別爆撃を行った米国大統領に肩組みされて喜んでいては、ポチと言われても仕方がありません。
*2:ヘラブナを代表して釣り竿や釣り針の多さなど道楽には事欠きません。見返りを求めない「無償の遊戯性」で心の底から楽しめ、ということです。江戸では、浮世絵は庶民向けグラビアだったし、旅日記という旅行ガイドブックがあったり、吉原細見という遊郭案内等もあり、庶民こそが楽しんだ様子が窺えます。

 

      

         

 

           

 

今年で3年、迷走した日本のコロナ対応も、マスク解禁で一段落しました。ようやく日本もコロナを卒業できたようです。(*1)


 入学からコロナ禍3年間の今年の卒業生は、ほんの一瞬ですが、マスクの無い卒業式が出来て本当に良かったと、誰もが思ったのではないでしょうか。ちょうど、春うららのいい季節のひとときを大いに羽を伸ばして欲しいものです。


 この頃卒業と言えば、どうしても「人生の卒業」の方に意識が行き、それに関する記事に目が止まってしまうのです。そんな中で今更ですが、夫婦間の問題で、大いに納得した説明に出合いました。(*2)


 曰く、「男女はムカつき合うことが大前提の、ペアの装置である」


 何という衝撃的で本質を言い当てている言葉でしょう。
元々かけ離れた感性の遺伝子が出合うことで、生存の可能性が高くなるという、いわゆる動物的本能で引かれあった夫婦が多い、と言うわけで、脳科学からすれば当たり前のことなんですね。


 女性は右脳(感じる)と左脳(言葉)の連携がスムーズで、脳に溢れる言葉を口にしないとストレスが溜まるそうで、お土産の包みの開け方から食べ方、果てはゴミの捨て方まで細かいことを「朝から晩まで指示し続ける」んです。<まるで私の私生活をのぞき見しているように言い当てています>
逆に、男は沈黙することで、脳のメンテナンスを行っている。
<全く正しい言い訳です>


 更に続けてヒトの脳には、とっさに使う思考回路が二つあり、一つは「ことの経緯を反芻して、気付きを生み出す回路」、もう一つは「今できることをさっさと片付けていく回路」。誰もが両方持っているが、同時には使えないのでい
ずれかを選ぶことになる。


 結果、「おいしそうなケーキ買ってきたの、食べる?」<今おなかいっぱいで>「いらん!」と答えたなら、「そう言えば昨日、飲み過ぎたんでしょう!」「夕べたのしそうにしてたわね!」と、思考回路前者である、記憶を反芻し嫌味と共
に原因を探ろうとします。一方男の思考は、あとで「食べる」かも知れないが、今は「いらん」と言う結論を直裁に述べたに過ぎない。<これで約30分は嫌味を聞かなければならない>


 男性よ、共感力を持て!が結論ですが、脳科学において男性は共感力の向上は望めないので、男性は共感型の会話を練習すること!というのが老後の平和につながる
と、宣います。
 バトルからの卒業は出来ず、修行は永遠に続きます。生涯学習とはこのことのようです。

 

 *1:卒業式に合わせたのか?中途半端な日にちで、最後まで明確な論理や信念に基づくことが無いため、国民に十分な説明をすることもありませんでした。


 *2:黒川伊保子「夫婦のトリセツ」PRESIDENT3月31日号エッセイより、かなり個人的バイアス(色眼鏡)がかかっていますので、正確には氏の同名の本を読んで下さいね。


 *3:「今、どんなときに幸せを感じますか?」という質問に、女性は「家族と団らん」と男性は「趣味に没頭」がそれぞれトップ。お金を使って良かったと思えることは、旅行・住居・趣味という順位は男女とも変わらず。意外なことに住居が2番に入っています。年齢と共に家にいることが多くなる訳ですから、ヒートショックの無い快適性と「個」を重視した住まいが、定年後の心豊かな生活をおくる下支えしてくれる筈です。その様なリフォームも、是非スペースツーワンにご相談下さい。

 

   

 

 何十年振りかで筆に触れました。先日書道教室のお手伝いをしたのですが、その際みんな「習字」と言っていたのを、習字では無く「書道」だと指摘を受けたのです。先ずその教室は墨が作られるビデオを見ることから始まります。そこで全員初めて墨の作り方を知ります。煤(すす)から出来ているぐらいの知識はあっても、作り方は、正しく技術の粋であり、価格を超えた希少な日本の文化の一つなのだ、とわかります。実は40年ほど前、義姉の習字教室開設祝いで買った墨は、
8千円もして驚愕したのを思い出します。(*1)


 さて実習、和紙の1年カレンダーに自分の好きな字をしたためるのですが、先生に見本を書いて頂いて「まねる」と、結構カッコになるんですね。小学生以来筆なんか持ったことが無い、といった人がほとんどでしたが、来られた全員、大満足でお帰り頂きました。(*2)


 筆の持ち方など、基本型にたいする教えは一切無しで、字の意味するところを表現するようにアドバイスがありました。例えば「楽」は字が楽しそうに踊っているように!何て教えられて書いた結果は形はどうであれ「あじがあるね~」なんて
評価を受ける字?形になるのです。


 「道」とは、一つの型(ルール)の中で習熟度を高め、熟練し、更なる錬磨を重ねて得る境地、と言うのが一般的な理解でしょう。でもその入口を無視して字の形や意味から学ぶのは、なにやら、自分の「心」に触れているような楽しさがあるのです。皆さんの嬉しそうな振る舞いを見て、そんなところからこそ、イノベーションが起こるのではないかと思いを馳せました。


 「極める」には、山にたとえ一歩ずつ(毎日コツコツと)歩んでゆけば(努力すれば)いずれ頂上に到達する、と言われています。(*3)一方、資格試験の勉強法は、資格の「取得」というのが頂上なので、下から積み上げるのでは無く、パラシュート(頂上作戦)で一気に頂上から俯瞰し、取得までの道筋を見極め、駆け下るのが一番の早道です。今回は後者の、墨という深い谷を見せながら、美しい頂上の
景色に触れ、多くの人に興味を持ってもらうと言うやり方でした。


 技術立国の日本、夢や希望という頂上を追いかけている間は、世界一何て言われていたのですが、ドラえもんの「こんなのがあったらいいな!」を忘れた頃から凋落が始まった様に思います。


 「異次元の子育て予算」のばら撒きでは無く、若者たちには未来生活への「憧れ」こそ大いにばらまいて欲しいのです。そして、我ら高齢者に対しても、認知の衰えは介護と忌避すべき厄介者と捉えるだけでは無く、その人なりに心が豊かな生活を送れ、明るく共存する社会を政治の指標とすれば、逆にみんな元気がでて、健康保険や介護費用の削減と高齢先進国の手本として多くの国から尊敬される
と思うのですが・・。三流と言われる政治家を選んでいる愚衆の戯言です。


*1:墨は奈良での生産量が98%で、職人さんも10人ほどに減ったの事。今なら1万5千円程度だそうです。
*2:太い筆に墨をたっぷりつけて、垂らしながら大胆に!何て風に習ってこなかったですよね。
*3:確かに山は一歩ずつ不断に進めば不可能に見えた頂きにも達します。でも道は、限りない努力が必要なことは分かるのですが、才能がどの程度必要なのかが分かりません。