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Welcome to my world

佐々木めばえ

私の思い、体飛び出して天井突き抜けて空に舞い上がって宇宙に飛んでいって守りたい大事な人たちをそっと包んでほしい。
そして、きらめいてまとまって降り注いで私にパワーをください。
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なんでこんなにも内にあるものを言葉にするのに時間がかかるんだろうって思っていた。焼き物みたいにどしんとかたく、固まってはいるのに。

でも、やっとわかった。

多分言葉じゃないところで何かを感じてるから、そして言葉じゃないところでそれを咀嚼しているから、

既存の、既に定義されているものに当てはめようとしたときに少しずつ”ズレ”が生じてくるんだ。


同じ言語を話す人たちの間でさえ、ある1つの言葉に対するイメージ、そしてどのようにその言葉を捉えているかは違う。

例えば”優しい”っていう単語1つとっても、人によって”優しい”に関連した言語体験がそれぞれ違うから、相手に全く同じニュアンスで伝わるかどうかはわからない。

だから誰かの話を聞くとき、どうしてその人がその言葉を選び出したのかを想像しながら聞くようにしてる。その言葉の裏にはどんな意味があるのか。

敢えて、感情に名前を与えないで放置しておくことだってある。
その、与えた名前が感情に余計な意味づけをしてしまわないように。自分がそれに左右されないように。


既に存在している言葉だけで表現できるものってどれくらいあるんだろう。きっとそんなにないから、音楽や芸術が生まれたんだろう。

わたしの頭の中をスキャンして伝えたい人にそのままプレゼントできるようにならないかな。

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でも、大事な人にわかってほしくて、伝えたくて一生懸命言語化しようとする作業にこそ意味があるんだろうなとも思うんだ。言語化も一括りにしたら”表現”なんだ。

その作業を経て形になったものがはじめて誰かの心に届く。
だから人は、強烈に誰かから何かを感じ取ったときに感動するんだと思う。
感動する要因はきっと他にもあると思うけど。

たまたま今地球において何かを伝えるための手段として大多数の人が使っているのが”言葉”なだけであって、必ず気持ちを言葉にしないといけないってわけじゃない。わたしは写真っていう手段がある。

職業も価値観も自分自身も、”既存のもの”に当てはめていく必要はないって思っているけど、『言葉を使って表現しようとする時』はそうはいかない。

必ず伝えたい時はわかりやすい方法をとる必要がある。でもそうすることによって自分の中にあるものとのギャップが生まれる。
本当はね、だからこうなんですっていう答えを今すぐに見つけなくたっていいと思うんだ。だってそれが今の答えなんだもん。


そこの、葛藤が消えない。


ここを越えられたらまた1つ段階上がれるかな。

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遠くから見た方が綺麗なものもある

遠くから見るからこそ綺麗なものがある

中にいると気がつかないこともある

みんな夕焼けの中にいる

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こんなに、素敵な人たちがそばにいてくれているから、わたしは絶対に大丈夫だって思える。こんなに素敵であったかくて大好きな人たちが私を信じてくれているから、きっとできると信じられる。

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私の出来ないところは、周りの人の優しさありがたみを感じるためにある。わたしの苦手なところは、人に優しくなるためにある。


多様な人を受け入れるために沢山のところがへこんでいる。私の出っ張っているところは誰かに勇気を与えるため、大切な人を支えるためにある。


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そして、支えてくれる仲間がいること、応援してくれているあたたかい人たちがいること、それが私のいちばんの強み。 


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とっても、感謝してます。




たまたま開いた日記フォルダから言葉が飛び出してきた。

2か月前、確か免許合宿に行くために東京駅のバスターミナルでこれを書いていた。

 

今の自分が考えていることと、どことなくリンクしていて、はっとさせられた。

忘れないように、ここにメモとして残しておきます。

 

2016年10月1日――――――――――――――

 

 

ンプルでいい。

他人の評価も気にしなくていい。

「評価」は私がする仕事ではない。

 

 

「行動」のみが、私がすること。毎日「私」という人間を通して感じた世界を言葉や写真を通して表現していくだけ。何かを見て、感じるときに、どうしても自分の感情や考え、先入観が無意識に混じってしまう。でもしょうがない。佐々木めばえという人間として存在している以上、そのフィルターを完全に無くしてものを考えることはできない。だったら、どうせなら、今回の人生はそのフィルターを思いきりおもしろがってやりたいと思うんだ。

 

 

 

誰もわたしと代われない。私が感じたものはすべて真実。正しいか正しくないかは別として感じたということそれ自体はすべて真実。臆することはない。

 

 

今日も「私」を生きてやる。

 

 

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12月07日―――――――――――

 

評価は、私のものではない。

評価は他人のもの。行動は私のもの。

 

”自分が自分をどう思うかが、いちばん大事。”

 

***

 

ひとりひとり、自分のフィルターを持っている。

フィルターを通して、物を見て考える。

感じて、行動する。

 

世界は一つしかないけれど、フィルターを通して見る世界は何十億とある。ひとりひとりの中に世界がある。写真も同じで、レンズの上からフィルターをかぶせると同じ景色なのに色も雰囲気もその景色が持つ意味さえも変わってしまう。

 

私も、私のフィルターを持って生きている。

今回の人生はこのフィルターをどう生かしていくかが大事みたい。他のものを持つことはできないみたい。  


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12月08日ーーーーーーーーーーーー

 

 世界には、人のフィルターを通して捉えられた事実が何十億とあるだけ。自分の目から見えているものは真実ではなく、自分のフィルターを通して見えている事実の一部。私が何かを感じたということそして感じた内容、それだけが真実。

 

大事なのは、自分はどんなフィルターを持っていて、そのフィルター(世界の見え方・物の見方捉え方)にはどんな”癖”があるのかを知ること。フィルターが自分の行動・思考にどんな影響を与えているのか、自分自身の行動パターンと思考パターンを知って分析すること。そして、相手も、自分と同じようにその人自身のフィルターを持っていることを理解すること。

 

曖昧模糊とした世界に意味を与え、ストーリー化して何らかの行動につなげているのは、まぎれもなく自分自身。何十億とある他人のフィルターから見て、その私の行動が正しいかどうかなんて誰にもわからない。他人の評価は関係ない。正しさなんて本当はない。  


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感じたままに、思うままに、

もっともっと、シンプルでいい。

 

強烈に感じていることがまぎれもなくあるのに、それを言葉にできない。これっていう1つの言葉にまとめられなくて、ぐるぐると体内に巻き立っている。体外ににじみ出ていくんじゃないかと思うくらい感情が形を欲しがっている。この渦巻きを外に出せたときに、行動がよりシンプルになっていくんだろう。

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わたしが中学生の時、お母さんが言った。

夏休みの宿題だった意見発表文を、休み終盤になっても終わらせられないわたしに向かって言った。

『自分の才能以上のことやろうとすんじゃねえよ。』

刺さった。

突き刺さった。

涙が出た。

ものすごく楽になった。

そのとき私は、すごいものを書こうとしすぎて、書き始められてすらいなかった。

完璧なものをつくろうとしすぎていた。


何かとんでもなくすごいものを作り出さないといけないような気がしていて、自然にそう思い込んでいたことに気付いた。

等身大のそのままの自分が感じたことを素直に外に出せばいいだけだった。

ものすごく楽になった。

ーーーー
今も、まったく同じ。

2週間後に、テッドトークに登壇する。

何かをゼロから作り出すとき、いつもお母さんのこの言葉を思い出す。

焦っていて、方法がわからなくて、成功させたくて、締め切りがあるとき。この言葉に救われる。

マイナスな意味のように聞こえるけど、そうじゃない。『お前の持ってるもので勝負しろよ、大丈夫だから。』って言ってもらってるような気持ちになる。
きっとお母さんは言ったこと覚えてないと思うし私もどんな状況で言われたのか定かじゃない。

でも強烈にこの一言が心に生きている。

私には、完璧な私でいようとする心の癖がある。
『完成』にすぐたどり着こうとする癖がある。

だから何から始めていいかわからなくなる。
失敗が許されない気がしてくる。

『才能以上のことやろうすんじゃねえよ。』

所詮わたしのやること。
できることしかできない。
肩の力抜いていこう。大丈夫。

凹んでいるところはきっと誰かが埋めてくれる。

等身大でぶつかっていくしかない。


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休学を始めてからぼちぼち続けている日記。

自分が何を感じているかを客観視するため、学んだことを忘れないため、自分の気持ち

の変化を視覚化するために書きはじめました。

 

自分の中にだけ残したままだとそのとき抱いていた気持ちも学びも死んでいくような気がして、変な焦りを感じたので載せます!


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2016年7月24日――――――――――――

 

8週目が始まった。

すごい勢いで時間が過ぎ去っていくのがわかる。

今週もフリーフローターだけど、マークが食事の時に学べる機会を用意してくれたから、学べるだけ学ぼうと思う。イライザのキャンパーは、言葉を書いて理解、表現する。どこでも服を脱ごうとする。そして笑っている。あの子にとって笑いは何の意味があるんだろう。何を表現したくて笑っているんだろう。

 

事実なのか判断なのか、思い込みなのか真実なのか。

自分で枠組みをしていることに気が付いてそれをいかにほどいていくかがとっても重要。

 

当たり前だけど、ひとりひとりのコミュニケーション方法と認知のしやすい方法は違って、キャンプロイヤルではキャンパーを受け入れる前にあらかじめそれを把握して、キャンパーが自分の気持ちをできるだけ表現できるように、カウンセラーがキャンパーと意思疎通をできるだけ図れるように、その人のニーズに応じてコミュニケーション道具が用意されている。口では言えないけど言葉を書いて気持ちを表現する子、カードを選んで示す子、聴覚優位の子、写真で理解する子、実物が必要な子、過程をそのまま目で見て理解ができる子、本当にみんな違う。



生きやすくするための、わかりやすくするための一般化、枠組みだったはずが、それがあまりにきつすぎて、逆効果になっている。

本来はみんな違うはずなのに、それを一般化して名前をつけて枠に入れようとすること自体が恐ろしいことだと思える。大人の都合で、わかりやすいから一般化が必要になった。でもそれが軸ではないだろう。それが優先事項になってはいけないと強く思う。

 

 

みんながキャビンで何を話しているのか、理解ができるようになった。

ひとりでニューヨークに行ったことは、私に自信を持たせただけでなく、キャンプへの新しい価値観、英語力、私が何に惹かれるのかのアンテナをシンプルにしてくれた。

ニューヨークから帰ってきて一週間経ってやっと、心がキャンプに帰ってきた。

やっと、ニューヨークにいた時間を過去のものとして、想い出として整理することができた。おとといまでは、まだその瞬間瞬間が生きていて、なかなか離れることができなかったけれど、今は大丈夫。しっかり腰を据えて今目の前にある瞬間をとらえる準備ができた。

 

でもまだまだ、テレビの英語が理解できない。

きっと、速さと言い回しと単語力だと思う。というかそれしかない。

困難は分割せよ。大丈夫だめばえ。見える山は必ず超えられるんだ。

 

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「欠けているんじゃない。ただ、違うだけ。」

 

「できないんじゃない。方法が違うだけ。」

 

そこでは、ひとりの「人」がまるごとそのものとして受け止められ、その人の持つ一番楽しみやすい方法で毎日を生きることができるように準備されていた。

 

人的環境、物的環境が整っている場所の中では、「障害」なんてない。

診断名も枠組みも、ここでは重要じゃない。どんなサポートがあれば楽しく過ごせるのか、本当に「障害」になっている部分は何なのかを考えてアクションを起こすことこそが一番大事。

 

――――――――――

 

前回の記事で、5月から8月までの3か月間、アメリカ・ノースカロライナ州で毎年行われている自閉症の方専用のキャンプでスタッフとしてボランティアをしていたことを書きました。

これから数回にわたって、キャンプロイヤルについて沢山つづっていきます。

 

①回目の今回は、具体的にどんなキャンプで、自分がそこでどんなことをしていたのかを書こうと思います。

 

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■どんなキャンプ?

 

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私を受け入れてくれた素敵な場所は、「CampRoyall (キャンプロイヤル)」。

ノースカロライナ自閉症協会(Autism Society of North Carolina)が主催する、自閉症の方専用のキャンプです。

 

ノースカロライナユニバーシティチャペルヒル校と協力をし、TEACCHという手法を取り入れて自閉症の方が混乱せずに楽しく過ごせるような工夫がキャンプ場全体にちりばめられています。TEACCHについてはまた別で書きます(*^^*)

 

 

ノースカロライナ州は自然がとんでもないくらい綺麗で、空が真っ青!

 

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○場所:アメリカ・ノースカロライナ州モンキュア

 

○目的:参加者が自分らしく楽しめること。保護者やご家族のレスパイトケア。特別支援の分野を志す学生に、相応の知識と経験が得られる場所を提供すること。自閉症についての理解を地域に広めること。

 

○参加者(キャンパー):ノースカロライナ州に住んでいて、自閉症だと診断を受けた人であれば、4歳から70歳以上まで、年代・自閉症のレベルに関係なく参加することができる。

 

○開催期間:5月下旬から8月中旬。日曜日から金曜日の一週間の宿泊型のキャンプ(Over night camp)と、一週間の日帰りキャンプ(Day camp)を10週間に渡って行っている。キャンパーは1週間ごとに、年代別に入れ替わる。

 

○スタッフ:特別支援教育や教育学、社会学等を学んでいる学生が集まって、有給スタッフとして大学が夏休みの間働いている。キャンプで一番驚いたのが、私と同年代の学生たちだけで事実上キャンプを運営しているということ。 


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○スタッフの区分:

*ディレクター:キャンプロイヤルの責任者

 

*アシスタントディレクター

 

プログラムリーダー(通称PL)キャンプ中の活動とスタッフを統括する。

 

アクティビティディレクター(通称AD)各アクティビティのファシリテーションを務める。

 

カウンセラー:参加者と1対1もしくは2対1(場合によっては3対1)でペアを組み、参加者が

過ごしやすいようにスケジュール管理等を行いながら一週間一緒に過ごす。

 

*バックアップスタッフ:食事の準備や宿舎の掃除等を行う。

 

*フリーフローター:ADがアクティビティをリードするときの補助をしたり、カウンセラーが体調不良の時に代わりに参加者と一緒に過ごす。

 

赤字で示したのが、学生が応募することができる役職。赤字のスタッフは全部で60人くらい。すべて有給で、2週間に約4万円が給付されます。宿泊型キャンプのスタッフは、キャンプ場内にある宿舎で他のスタッフと一緒に共同生活をします。

 

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■どんなことをしていたか

私は労働ビザがなかったので、有給スタッフのカウンセラーではなく、フリーフローターとして働く代わりに宿泊費と食費を無料にしてもらえる条件で受け入れてもらいました。

 

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通常のボランティアの仕事に合わせて、自分のカメラでキャンプの様子を写真に撮ってそれをネットで限定公開し、参加者の保護者に見てもらったりしていました。また、ディレクターの配慮で、全部で4週間カウンセラーとしての経験もさせてもらうことができました。

 

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キャンプロイヤルは、人中心の文化を大切にしています。キャンプにいる人は、組織ではなく、集団ではなく、診断名ではなく、ひとりの個人として見られます。「できない」という判断基準はなく、苦手という枠組みもつくりません。例えば、私たちはただ食事をするときにフォークを使うからフォークユーザーなだけであって、フォークを使わない人は「grabber」(つかむ人)と言っていました。

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できないんではなく、違うだけ。

 

違いを祝福し愛する。

違うことを喜ぶ。

まるごと受け止めて愛する。

 

この言葉を、形にしているのがキャンプロイヤルです。



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私はドジの伝説をたくさん持っています。

いつも自分のドジさにドン引きします。基本毎日何かやらかします。

笑い飛ばさないとやっていけません。

 

昨日コンビニでおにぎりを買うときレジでお財布がないことに気が付きました。

 

「お財布忘れてしまったみたいで、本当にごめんなさい、やっぱりなかったことにしてもいいですか?」

 

「こちらは大丈夫ですよ!お客様は、大丈夫ですか?」

 

お姉さん、優しい…。

 

ドジをすると人のやさしさありがたみを感じられます。

 

はい。

今日はそんな伝説をもうひとつ紹介します。

 

――――――――――

 

「来年の春から、世界一周へ行く!そのために一年間で100万円貯める!」

 

2015年の春にそう宣言して、約一年後の2016年2月。

通帳を見ました。

 

30,000円

 

ははは。笑 いや笑えない。

今となってはもはや伝説だけれど、当時は自分の“情けなさ・できなさ“を突き付けられた気がして沢山泣きました。

 

時は戻って、

 

2015年11月。

どうしてもバンジージャンプをしたくて、友人を誘って日本第2位の高さ62メートルを誇る群馬県猿ヶ京をめざして弾丸ヒッチハイクをしました。

 

(一か月前にバンジージャンプの予約を日本第一位100メートルのところにしていたはずだったんですが、その予約をした当日に飛ぶ設定で予約をしてしまっていたらしく、飛びたかった日はもう満員だったので急遽第2位の群馬県にしたのです。笑

 

 

 

 

 

 

(未知だから怖い。一歩を踏み出す前で怖さが最大になって、落ちてしまえばあとは怖くても楽しくてもなんでも、勢いに身をまかせて上にのぼっていくだけだとバンジージャンプは教えてくれました。やる前がいちばん怖い。やりたいなら怖ければ怖いほど向かって行くしかない。)

 

無事に62メートルから落下したその帰り、パーキングエリアで声をかけてくれた方がいました。乗せてもらえることになり東京へ向かう車の中で、自分は特別支援教育を学んでいて、世界一周がしたくて、発達障害についての理解を広めたくて、写真が大好きで、野外教育・レクリエーションにも興味があることをぼろぼろと伝えました。

 

そうするとその方は、アメリカ・ノースカロライナ州に自閉症の方向けの長期キャンプがあり、昔そこでボランティアをしていたことを教えてくれました。

 

そのキャンプの名前はキャンプ・ロイヤル。5月から8月の3か月間の長期キャンプで、教育学・特別支援教育等を学んでいる学生が世界中から集まってスタッフとして働いているとのこと。

 

すぐに申し込みました。

と言いたいところですが、そこはやはりこの私。

乗せてくれた方にお礼の連絡をしたものの、その時点ではまだキャンプ参加を決断しきれず、申し込みまでの行動を先送りにしていました。

 

時は進んで、

 

バンジージャンプから3か月後の2016年2月。

通帳を見ました。

 

30,000円

 

ん?私4月からは世界一周行けない…?

すぐにキャンプロイヤルのことを思い出し、乗せてくれた方へ会いに行き、現地のディレクターと繋いでもらい、所持金3万円でアメリカ行きを決めました。

 

―ボランティアとして受け入れてもらうためにはスカイプでの面接が必要。

 

自分に英語力がないことをわかっていたため、面接になったら受け入れてもらえないかもしれない。受け入れの正式な返事が返ってくる前に航空券・ビザ・保険を準備し、もうすべて行く用意をしたことをディレクターに報告。こうして、受け入れてもらえる状況をつくりました。

 

超強引です。

 

出発までの一か月間で18万円を貯め、渡米。3か月間を経て、帰国し今に至ります。

 

情けなさすぎるドジも、どこに繋がっていくかわからない。

一見全くつながっていないように見えることも、どこかのタイミングで点と点が線になることってあるんだなと感じます。

  

キャンプ・ロイヤルについては書きたいことがありすぎるのでまた別の時に回を分けてたくさん書こうと思います。

 

ドジがツキを呼んでくれた。

おかげさまで、今日も私はツいています。