できない自分を責めないで。
じぶんのへっこんでるところと尖ってるところこそが、人と繋がるのりになる。誰かと繋がるために、みんな欠けてるところがあるんだ。障害は、個人が社会と関わるときに相互作用的に起きるものでしかない。
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キャンプで、世界を変える出会いがあった。
18歳のサムという男の子に出会った。
サムは、言葉を口から発する事ができなかった。
代わりに、気持ちをタイプライターで伝えていた。
タイプライターから、サムの等身大の気持ちが見えてきた。
ことばがない、話せないことは何も考えてないのとは違う。
目が合わない、アイコンタクトがないのは話を理解していないのとは違う。サムの中には空ほどの大きな心があって雲みたいに渦巻いてる感情があった。あったんだ。
サムはただ、大多数の人がとっている手段とは違う手段をとっているだけだった。
違う手段をとっているだけじゃ、それだけじゃ障害になりえないはず。
それなのに何でサムが社会に出た時にそれが障害になってしまってるんだろう。事実として、サムはキャンプの中で一切の障害に出会ってなかった。
もしかしたら、”コミュニケーションは言葉を口から発することでとるものだ”という大多数の人が持っている”思い込み”が、サムにとっての本当の障害になっているんじゃないのかな。
私が持っていた、『話せないから、何も考えていないのではないか』、『目が合わない・アイコンタクトがないから話を理解していないのではないか』、そんな思い込みが、サムにとっての障害を生み出してしまっているのかもしれない。
ーこうするべき・これであることが普通ー
そんな風に思いすぎていたのかもしれない。
表現の方法はみんな違う。
学びやすい方法もちがう。
”枠組み”は大事じゃない。
例えば社会が用意した枠からはみ出ていたら、それは欠陥なのだろうか。
それは障害なのだろうか。
必ずしもそうではないと思う。
そのはみ出ている部分が誰かのへこんでいる部分を救えるかもしれない。
枠にはめていくんではなくてひとりひとりを枠で囲ってあげられるようなあたたかい考え方ができればそれはみんなにとって生きやすい社会になる。ぜったいに。
まずは自分から。私は苦手なことがたくさんある。
例えば、注意が必要なときに起き続けていることが苦手。
物の管理が苦手。時間の管理が苦手。
キャンプに行く前、そんな自分を好きになれなかった。できない自分を認めたくなくて、現実を直視することから逃げていた。
キャンプでサムに出会って、できないできるの判断をするんではなく、サムがサムであることを喜んで、そのまま受け入れるということを経験した。そしてその行為が気付けば自分を満たしていた。サムと私の違いを認めていくことが私のパワーになっていた。
私はこれを、自分自身に対して1番やってこなかったんだと気付いた。
キャンプに行く前、ずっと満たされていなかった。
私は自分に対して、『こうするべき・こうであることが普通』、と社会の枠に自分を当てはめようとしていたんだ。
誰かをありのままに認めることがパワーになるなら、自分自身をありのままに認めることが私にとってのパワーになるはず。
どこに行っても自分からは逃れられないなら、前向きでも後ろ向きでもなく、全面的に自分を受け止めようと思えるようになった。
自分を責めてしまいそうなとき、失敗したときは、責めずに、自分の行動パターンをひとつ知ったと思えばいい。
そしてどんどん私は、自分を知って自分になっていくんだ。
私は私のままでいい。
あなたはあなたのままでいい。
みんな、おなじにならなくていい。
社会のためにあなたの形を変えようとすることなんてない。
もし、みんなが同じ形になってしまったら、人はどうやって誰かと繋がるんだろうか。繋がれるんだろうか。
学校ではもしかしたら、1人でバランスをとれるようにしようって言われるかもしれない。苦手な教科に注力しろよって教えられるかもしれない。バイトも、マニュアル通りにこなすことが良いとされていることがあるかもしれない。それが悪いわけではない。悪いわけではないけど、そうやって、みんなが同じ形になってしまった社会に、認め合いは起きるんだろうか。人との繋がりはあるんだろうか。
みんな、それぞれが自分の専門家。
どんなことが得意でどんなことが苦手で、苦手なことは何があればできるのか。自分を把握することが大事。自分の弱みを知る事は自分の強みになる。
何かの専門になるとき、専門になる対象を好きになれないとやってられない。
自分を認めて好きになることから全てはじまる。
でもそれはひとりではなかなかできないっていうことを、私はよく知ってる。
だからまずは、自分の形を知って、はまる形の人とたくさん繋がろう。
凹んでいる部分は、誰かの尖っている部分を埋めるための、人と繋がるための素敵な要素になり得る。尖っているところは、誰かの凹んでいるところを支えてあげられる素敵な要素になり得る。きっとそのために人は、ひとりひとり違っているんだ。それを繰り返していけばきっと、みんながお互いに認め合うことができるはず。みんなが自分を認めることができるはず。
そんな風に世界は、きっともっと優しくなれるはずなんだ。