平成・その駆け抜けた時代を思う | マネーの作法〜ファイナンシャルプランナー細田浩世(株式会社スプラウト代表)の上質な人生をおくるためのエッセンス〜

マネーの作法〜ファイナンシャルプランナー細田浩世(株式会社スプラウト代表)の上質な人生をおくるためのエッセンス〜

お金と上手につきあって、上質な暮らしを手に入れる。スプラウト代表の細田浩世が、マネーのプロであるファイナンシャルプランナーからの視点で、心躍る未来を実現するための「使うお金・殖やすお金・遺すお金」をマネジメントするヒントを綴ります。【埼玉、熊谷、深谷】

プライベート・ファイナンシャルプランナー (PFP) の
細田 浩世です。

若葉雨。
平成のラストステージは
浄化の雨。

駆け足で通り過ぎたように
感じる30年を振り返ってみます。



仕事、プライベート。
 銀行での業務は今に続く道の始まり。  
 
日々、来店のお客様の多さに
こなすことで精一杯だった20代。  

 
ハワイに留学することを決めた23才。

帰国後の外資の銀行ではスーパーヴァイザーという
 責任ある立場で仕事をさせていただく。  

 
バブル崩壊。
  
結婚、出産。
   
夫の転勤で10年暮らした
富山市では、子育てを中心の毎日。
 
多くの人に支えてもらいました。
 
二男、三男も加わり、家族5人が
まるで円陣を組むような生活だった。
   
熊谷に戻り、再出発。
 子ども達が 
なかなかこちらの生活に馴染めなかったことすら  
今は懐かしく思える。
 
まっただ中にいる時は、必死だったはずなのに。
   
アメリカのリーマン・ブラザーズ破綻。
リーマン・ショック。
   
平成20年。
ファイナンシャルプランナーとして独立。
 
いよいよ腰を据えて仕事ができると
思った。
 
長男中1、二男小5、三男小2の時。
   
平成27年。 
法人成り。
株式会社スプラウト。
   
平成31年4月26日。
東京株式市場は昭和の末から26%下落で  
幕を閉じる。
 
 
平成の幕開けはバブルが崩壊し
失われた20年の始まりでもあった。  
債券の利率は下がり続け、
 マイナス金利へ。  

子育てという新しい環境下で
デフレという実感はあまりなく、
世の中の出来事よりも
目の前のことで必死だった。





息子達が初めて歩いたその瞬間を
見られた幸せがあった。

言葉を自分のものにしてゆくのは
生きた学びだと思えた。

平成8年生まれの長男は社会人に。
今は西の街、大阪で初めての一人暮らし。
選んだ職業で挑戦の日々。

急な熱で仕事を休まなければならなかった時。
制約の中で我慢をしたように感じたこともある。

今は、その時々が自分のステージだと思える。
働くということ。
個の自分。
時代の流れの中で
その時々、選択をして来られたのは
家族みんなで力を合わせているから。

今は随分と思うように
仕事に力を注げるようになった。
それでも
もっと働きたいと思ってしまう。

「出会えてよかったです」
そのような言葉をいただけることが
ある。
人の役に立てること。
これ程、感動することはない。

お客様にも恵まれています。
私自身を育んだ平成時代。

いよいよ
令和の幕が明ける。

肩の力を抜いて、
仕事、プライベートに
進化をし続けたい。

シンプルに物事を捉えて
いつまでも学び続けてゆきたい。

大切な人たちに貢献できる自分で在りたい。
目を閉じてそう
願う。



   

マネーから、未来へ~ 

   スプラウト 細田 浩世(ほそだ ひろよ)

 

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