こんにちは 西田です。
人生のコア、核・玉ねぎの芯、
そんなものをみつけて、事業・商賣に結びつけたら
自分が喜び、人が喜び、その向こうの人も喜ぶので
そんな「なにか」をみつけるサポートが自分の「快」であり、芯・核です。
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で、思うのが、もしかして、
「もっと人生経験を積んだら書き換わるのかもしれないが」という条件付きで
幼年から青年までに
触れたことのない「事物」ではない
触れたけど動かされたことのない
「快」の種類・対象・事物・ものこと は
大人と呼ばれる年になってから、触れて、たとえ、はまって、無我夢中になっても
やめられなくなっても心底打ち込んでもそれは、人生の芯にあらず、と思います。
中学生のころ、ギターに出会い、バンドをやっってて人前で弾いて歌っていた人が
2人、いや10人がいたとして表面は同じですので
過去の棚卸しをしたら同じように字面で書きます。
当時、触れた バイブレーション ともいうべき内側の共鳴とか振動を感じずに
「それ」(ここではバンド活動)をやっていたとしたら大人になってから音楽にむきあっても
「もう」さして、共鳴することはないのではないか、というのが
いま思っていることです。
「やったこと」ですらそうであればなおさら、
過去に体験すらしたことのない未体験な事をたくさん、たくさん、
土地とか人とか食べ物とか、造作物など人によって作られたモノとかに触れて
「体験を増やすための体験」ではあっても
かつ
もしもひととき、はまっても、人生の芯にはならないのでは、と。
なぜなら、きっと、それは誰かの価値観が「いいよ、すごいよ、これいいね」て
ささやいているからです。時には大騒ぎですね。
そういうのは、「飽きる」時が必ずきます。
ところが
ひとたび、幼年~青年の時に体験したことが含む「芯」の意味するところを
ひもといて、dis cover したら、
あらゆる体験が、その「芯」によって、ひもづけられていく、、、
カモしれないのです。
すると
飽きない、組めどもつきぬ、コアが感じる バイブレーションがあるので
やめられない、とまらない、、、、。
だから、
体験を増やす、知的好奇心という向こう側に
フロンティアは無いんですね。
自分にとっての桃源郷は眉毛みたいな存在で、
その意味を読み解くまでは、眉毛は見えないで、探し回るんでしょうね
未体験というフロンティアの向こう側を。
眉毛がわかると
事業が「何か」とか扱っているモノがなにかへの
「こだわり」がゆる~くなっていきます。
なぜなら、そこに一本通っている、自分にとっての芯、コア、核を
見つけることさえできるようになるので
それを
楽しめるんですから・・・・・・。
でも、そのためには、ひとつこと一本道で続けることでしか
そうでないことでも通っている「芯・コア・核」が見えてこないんですが・・・・・・
ややこしい・・・・・・。
にしだ拝
