最近のアスのまったり具合は本当にすごい。
れっどんの置物状態に対してあーだこーだいってたが、
まさに自分自身が置物と化している今日この頃だったり。
昨月、所属してたギルド(親睦、戦闘)が解散するとのことで
キャラがいくつか無所属になったのもその理由の一つかも、と思うことがある。
幸いたくさんの皆さんがギルドに誘ってくれたり、ちょっとしたご縁で加入させていただいたり。
私はいろんな意味で恵まれていると思う。ありがたいことで、この場を借りてお礼申し上げます。
新旧のお友達問わず、ギルドの垣根を問わず、これからも仲良くしてくださいませ。
で、アスファンを見たら、ちょうど解散ギルドのギルマスが
新規ギルドメンバを募集していて、たまたまサイトを見つけた。
元オフィサーとして、これを贐の言葉としたいと思う。
Think today and speak tomorrow.
これからもがんばってください。
さて、先日阿修羅目標の修でてっちん、さなっちと山で
狩りしてたら、この新規ギルドの新入りさんらしき人が墓になってた。
とりあえずGリバ(しかできないけど)聖で蘇生に向かう。
山でログアウトしてすぐに起動できるようにして、一緒に組もう、という話が来たので組んだ。
てっちんとその子が何度か死んだのでその都度聖を起動してたのだが、
ログアウトし忘れて自分の聖もふと思い出してサブPCの画面を見たら死んでた(笑
でもまあ、経験や名声への執着がない分、そういうので死ぬのもある意味楽しいもの
でもあるし、アスをはじめて間もない人たちと一緒に狩りをするのは以前自分が
初心者で経験者に連れてってもらったころのことを思い出して懐かしい気分になる。
狩り場での絶対的な安心感、どんな状況でも冷静沈着で、でも笑いを取ってくれたり、
緊張感のない、まったりとした時間、空間を作ってくれる先輩たちが昔はたくさんいた。
大事なのは狩りにおける強さではなく、権力でもなく、お金でもない。
その場にいる人たちが、心から和める空間だったり、上下なく遠慮なく
語り合える場だったり、損得を抜きにした人への慈愛が大切なんだろうと思う。
いつも自分が実践できてるわけではないけど、それはいつも意識していきたい。
人を怨むのも簡単。
人を蔑むのも簡単。
でも人を好きになるのは大変で、人を許せるのも大変だね。