82.回憶

「トギ！無理しなくて良かったのに…大丈夫なの？」

地下牢の入り口で、トギとテマンが二人を待っていた。チェ・ヨンがここへ来る途中、テマンにトギを呼びに行かせたのだ。ウンスと共に罪人と対面出来るようなら来て欲しいと…

「ん？トギ…なに？一発、殴ってやりたいの？ふふ…トギったら」

トギが眉間にしわを寄せ、何度も殴る仕草をしている。手話が分らないウンスでもトギの言いたい事はすぐに理解できた。

「トギ！あ、あいつにそんなに近づいたら危ない。代わりにおいらが殴ってやるから」

テマンが、すぐにでも牢へ飛び込んで行きそうな勢いだった。

「テマン、待て…トギ、すまぬな…では奴のところへ行くぞ」

ウンスとトギは緊張の面持ちで頷いた。

中に入ると相変わらず湿ったかび臭いが鼻腔をくすぐる…１年前、キ・チョルに会った地下牢…

ウンスはなんとなく怖くなりチェ・ヨンの着物の袖を両手で掴むと、立ち止まり振り向いた彼の眸が、優しくウンスを見下ろした。

不安をかき消すように、長い指がウンスの小さな手を包み込む。

地下牢の最奥…重罪を犯した者が捕えられる牢の中にその男は居た…

かつてはチェ・ヨンが…そして徳興君も囚われ…キ・チョルが怒りと哀しみに震えた場所だ…

「イムジャ…大丈夫か？」

ウンスは目を閉じて大きく息を吐き出すと思い切ったように言った。

「平気よ。行きましょう。トギとテマン君も…」

「は、はい」

男は苦しそうに短く荒い息を吐きながら、壁にもたれ俯いたまま座っていた。

（あっ…この人の息遣い…怪我してるのね…チェ・ヨンの雷攻をあの距離からまともに受けたら…）

４人が牢の前まで行くと、その男はゆっくりと頭を上げ油火のもとに顔が晒された。男の顔にはあちこちに痣があり、着ている物も変装用に奪った、お世辞にも綺麗とは言えない着物のままだった。あちこち汚れて破れている。

「イムジャ、トギ…この顔に見覚えは？」

二人は探るようにじっとその男を見つめた。

焦点の定まらなかった男の眼が正気を取り戻し、大きく見開いたその視線の先にはウンスが居た…ガチャリと音を立て繋いである鎖が揺れる…男がふらりと立ち上がった。

身の丈はチェ・ヨンほどもあろうか…かなりの身長である。

「ねえトギ…この人って…町中で私達を捕まえた人じゃないかしら？昨日は気がつかなかったけど…」

トギが大きく頷いて、男を指刺しウンスのお腹を殴る仕草をした。

テマンも表情を変える。

「何！？トギ、誠か！こいつがイムジャを殴った奴なのだな！？おい！牢番！鍵を貸せ！早くしろ！」

チェ・ヨンは今にも牢番に掴みかかりそうな勢いで怒鳴った。その顔は殺気立っているように見える…

「チェ・ヨン！落ち着いて…もう私なら大丈夫だから…ずっとここにいる。あなたの隣にずっと…だから…」

チェ・ヨンは聞く耳を持たず、鍵に手をかけ乱暴に開くと中に入る。ウンスも慌ててその後を追った。

「待ってチェ・ヨン！私も行くわ！…この人怪我してるの…」

チェ・ヨンはその言葉に顔を歪めながらウンスを見た。複雑な感情が絡んだ苦しげな表情だった…

「イムジャ…まさかあなたを殴り、攫った男を治療するつもりなのか？」

「チェ・ヨン…私は医者よ…治せる怪我や病なら治したい…治してあげられなかった人達の分まで…」

ウンスは恐らく慶昌君の事を言っているのであろうとチェ・ヨンは思った…俺だけではない…この方の心の奥深くにも巣食う…暗く沈む記憶…

「前にあなたは、私に小刀を渡すときこう言ったわ…危険が迫ったらこれを使い…怪我をさせてしまったら治療すれば良いと…今日はその反対。取り敢えず治療させて。その後できちんと裁くなり尋問するなりしたら良い…だからお願い…」

ウンスはチェ・ヨンの腕を掴み、すがるように彼を仰いだ…

怒りに震えていたチェ・ヨンの眸は、吐息と共にやわらいでいった。彼の手が伸びてそっとウンスの頬の丸みにふれる。

「全くあなたという方は……こやつの怪我が治ったところで、二度と遅れをとりイムジャに触れさせるようなことはさせぬ…必ず俺があなたを守る…テマン！イムジャの道具を取ってきてくれ！」

「は、はい！」

「あなた…ありがとう！テマン君、ちょっと待て！大きめの包帯もたくさん持ってきて欲しいの！サラシでも良いから！」

ウンスは既に小さくなったテマンの背中に声を投げた。

「大きい包帯、サラシ…はい！わ、かりました！」

「トギ…手伝ってくれる？嫌？…うん、わかった。無理強いはしないわ…あなた…行きましょ」

「イムジャ、用心してくれ。俺から離れずに…」

そのやり取りを瞬きもせず、ただ立ち尽くし見つめていた男がようやく重い口を開いた…