今回は「読む」と「学ぶ」を一体にして書います。もちろん、読書には様々な楽しみがあります。趣味の娯楽本、仕事で参照する技術専門書もあります。それからも当然学べますが、それ以外での「教養」をつけるという意味での読書を考えています。
さて、読書会での続きです。
「どうしてて大人は読んで学ばなくなったか」という話の中で、
「読書して学ぶことは、(即効性のある)実利に繋がらない」からではないかという意見が出ました。
(実利に近いから入学試験、入社試験までは勉強する。)
もちろん、それでは「学校のお勉強」だけがすべてになってしまいます。
普段の読書の蓄積による長所はどうしても見落とされがちです。
「読むことは大事」、「読まないより読んだ方がいい」ということは皆さん一致して言われることですが、
それでも大人は(時間がない等を理由に)あまり読まないことを選択します。
読んで学ぶという行為の理由が希薄だから、こうなっているのでしょう。
読書が実際に役立つのは積み重ねの蓄積で、半年後、一年後に役立つ。もしくは読んだ中には一生役立たない事柄もあるかもしれないと思っています。それにも関わらず、読書から学ぶ必要がどこにあるのかを「もう一度考え直して」、「伝えて」いかないと、読んで学ぼうとする人は減っていくかもしれません。そうすると読む子供はもっと減ると思います。(前日記事参照)
「なぜ読書して学ぶ必要があるのか。」(他に楽しいことはいっぱいある)
「読書して学ばなくてもいいじゃないか」(とりあえず自分の生活は困ることはなさそうだ)
あなたの意見はいかがでしょうか。それを読んでない人に話すことにより、納得して読書から学ぶようになるでしょうか。私もきちんと考えてみたいと思います。街の本屋の役割は、結構重要かもしれません。