Ms芸森 | ショートスリーパーハルは迂闊か粗忽か

ショートスリーパーハルは迂闊か粗忽か

この年になって、まだ規則正しい生活ができないワタクシ。
いつも睡眠不足のツケがくる…。

かつて、ミスターと呼ばれていた野球選手がいたように、私にとっての「Ms芸森」…Kさんが先週亡くなりました。

札幌芸術の森に解説ボランティア制度が出来た時の1期生。丸18年ボランティアを務めたベテランでした。

野外美術館のことや彫刻家のことを何でも知っている感じで、何と言ってもパワフルで、誰よりも芸森を愛していたのではないかと思います。


ほぼ母娘の年齢差、私がボランティアを始めた時には既にベテランで、新人の私は随分頼りなかったでしょう。最初の頃、うまく意思の疎通ができず、二人でコンビを組んで案内・解説をする時にもギクシャクしていた気がします。

芸森やボランティアに対してとても情熱を持っていたから、とても頑固で… 正直いって反発していた時期や、「もっとラクに臨めば良いのに」と思っていた時期がありました。

時間をかけて、お互いに歩み寄ることが出来た気がしていました。世代を越えて仲間として話ができる間柄になったと思っていました。なのに、呆気ないお別れでした。


2月に風邪だと思っていた咳の症状が治らず、病院に行ったところ肺ガンが判明。

すでに転移していることが本人に伝えらました。そのことを私にも話してくれました。

3月に手術、入院中に脳梗塞も起こし、容体が良いはずはありません。

でも、4月にお見舞いに行った際にはいつも通りに、歯切れの良い大きな声で、元気にお話してくれました。ボランティア通信を担当している私に「編集頼むね」が遺言になってしまいました。

来年はボランティア発足20年のイベントが予定されているのに、Kさんがいなくてどうするの!?


5月には一度退院、自身で戒名をもらい、葬儀の準備を進めていたそうです。

お見舞い以降お会いできなかったのですが、つい数週間前にも車椅子で芸森に来ていたのだそうです。

19年目は1日も活動できなかったのですが、ボランティア登録は解除しないで欲しいと希望されたそうです。本当に、このボランティアを大事に思っていたのです。


19日に葬儀に出席しましたが、祭壇は赤やピンクのバラの花で飾られ、「とてもKさんらしい」と皆が口々に言っていました。私もそう思いました。

でも、祭壇を見ても、お顔を拝見しても、まったくKさんの死を信じられませんでした。芸森に行けば、またKさんに会える気がします。誰よりも元気なKさんの声が聞こえてくる気がします。

そのせいか、涙があまり出ませんでした。何だか、もっと後に悲しみがやってきそうな気がします。


Kさんの足元へも寄りつけない私ですが、ひとかけらでも遺志を引き継げたら…と思います。

芸森の良いところを皆さんに伝えて行きたいと思います。