すい臓癌により

緩和ケアに入った実父。

 

続きです。

 

 

 

呼び出しがあったのは金曜の夕方。

 

内容はよく分からなくて、

モルヒネとか打つのか?と思って

旦那君と一緒にとりあえず病院へ行くと・・・

 

 

 

そこには、喋れなくて唸るだけ

実父の姿がありました。

 

 

医師からは

いつどうなってもおかしくない状態

と言われたそう。

 

ここで知ったのは、

モルヒネとかは転院後すでに

打ち始めていたということ。

 

 

私はこの時、実父の姿を見て

ショックが大きかった。

 

危篤と言われると

想像の中では酸素マスクをつけて

静かに横たわっている姿。

 

だけど目の前の実父は、

言葉を選ばす言ってしまえば

ゾンビのような姿でした。

 

目と口が開いたまま、

ウーウーと常に唸っている状態。

会話は出来ません。

動かせるのは肘から下のみ。

 

実母・実兄・私・旦那君・いとこで

交代しながら手を握って声をかけました。

 

 

私、実父にどうしても

言いたかったことがあったんです。

 

それを言いたくて、言おうとしても

言葉がなかなか出なかった。

 

それでも頑張って、振り絞って・・・

 

 

 

私、

言いたいことがあるんだけど。

 

 

 

孫を抱かせて

あげられなくてごめんね。

 

でも、孫が欲しいか聞いた時に

(実父が)被せるように

欲しいって言った事

嬉しかったんだ。

 

だから、

 

ごめんね。

ありがとう。

 

 

 

 

実父から言葉を

貰うことは出来なかったけど、

伝わっていたと思います。

 

 

 

ここから、出来るだけ病院で

付き添いしてあげたいねということに。

 

私達夫婦は、

元々日曜日に来る予定だったけど

この時点で泊まる準備もしてないし

家にむぎを置いてきてるので

いったん帰宅。(片道約1時間半)

 

その間はいとこに付き添いしてもらい、

夕飯や風呂、準備を済ませ病院へ。

 

いとこと交代したのは

日にちが変わる頃でした。

 

 

この日の夜は、早朝までベッドの横で

実父の頸動脈がちゃんと動いているか

何度も確認。

 

元々実父は無呼吸症候群を持ってるので

最初は途中で息が止まってハラハラタラー

 

 

実父には、ずっと

頑張れって声をかけてました。

 

でも、苦しむ実父を見ていて

楽になって欲しいという気持ちもあります。

複雑な感情を抱えながら声をかけていました。

 

 

 

早朝、旦那君に任せて

3時間ほど仮眠。

 

 

土曜日の日中は、付き添いは実兄に

お願いして私たちは実家へ。

旦那君は寝かせて、私は夕飯作り。

 

夕方、実兄と交代して一晩付き添い。

 

この日、実父の目を見ていて

どんどん光を失っていくのが分かりました。

 

『別れの時が近い』

そう感じました。

 

 

 

日曜日は元々

美容院を予約していたので

済ませてから自宅へ帰宅。

 

病室を出る時、実父には

『しばらく独りの時間が

出来るけど頑張ってね!』

と声をかけると、実父の目は

『いってらっしゃい!』

と言ってくれてるように感じました。

 

 

実は、実母の手術が先日決まって

火曜日に入院、水曜日に手術予定

だった為、私は水曜日にはまた

実母の手術付き添いをする予定。

 

 

月曜日と火曜日は仕事をして

水曜日に独りで実家へ帰る予定でした。

 

 

 

 

~続きます~