80年を越える人生のほとんどを「言葉」と向き合い共に過ごしてきた翻訳家、スヴェトラーナ・ガイヤー。
ナチス政権下の過酷な状況も、自身の力で闘いながら、たくさんの哀しみ、苦しみの中を生き抜いてきた彼女。
どんな時も彼女にとって「言葉」が武器となり
味方であり続けたのは、彼女の「言葉」に対する誠実で真摯な姿勢があるからこそ。
言葉は代わりがきかない、と彼女は言う。
一つの情景を表すにも、ドイツ語とロシア語の間でどうしても互換性のない言葉があり、細かな描写ができない。
そして、彼女の母親が丁寧に編み上げた繊細なレースのように、たった一針でも過ってしまえば、その美しい模様は未完成に終わる。
言葉も、その一糸一糸を整え布を織り上げるように、繊細に緻密に交わり合っているのだと。
そんなふうに「言葉」を扱う彼女は、
翻訳する際ももちろんだが、話す言葉も、一つ一つ丁寧に選び、最低限のシンプルな表現で伝える。
余計な言葉が1つもない。
彼女を見ていると、私はいつもいかに言葉の無駄遣いをしているかということに気付かされる。
コミュニケーションの手段として言葉が一番確かだが、扱い方次第で様々な誤解や違和感を与える可能性も持ち合わせる、なかなか手強い道具だ。
言語や文化や歴史が異なればなおさらその溝は広く深い。
その溝の橋渡しとなるのは、伝える側も、受けとる側も、お互いを理解しようとする気遣いである。
言葉は数字と違って絶対値はない。
言葉に含まれるニュアンス、温度、空気感、色、感情、、、
そういったものを感じようとしなければ、その真意は少しずつずれていってしまう。
そんな言葉の危うさ、不完全さは一見扱いにくく感じるが、だからこそ息づき心に染みる言葉があるのだ。「言霊」と言われているように、言葉には魂が宿る。言霊が込められ古い良書は、だからこそ何度も新訳がなされている。
最後に彼女は、
「人の存在それ自体には何の意味もない。人の進む道によって、その存在が正当化されるのだ」と話す。
ここで言われる「人」はそのまま「言葉」に置き換えられる。等しく「生けるもの」であるということだ。
言葉を大切にしよう。
一つ一つの言葉に心を乗せて届けよう。