













父は、家族をいつも大切にしてくれました。
今日は忘備録として
このブログを書かせてください。
私達の祖父は
まだ父が30代の頃に亡くなってしまったので
それから
漆職人としての腕だけで
母とふたりで
私達三姉妹を養い
いつも和気藹々とした家庭を築いてくれました。
私は家が大好きでした。
私達はそれぞれが嫁ぎ
実家では父と母ふたりで
暮らしていました。
クリスマスイブの夜
10時25分に電話が鳴り
出てみると1番上の姉からでした。
すぐイヤな予感がしました。
母から姉に電話があり
父が湯船で意識を失っていたと。
今から救急車で病院に搬送されるとのことでした。
父はその日
大好きなたくさんの社交ダンス仲間と
パーティーで
1日一緒に過ごし
めいっぱいエンジョイして
楽しかったと言って帰宅したのだそうです。
ちょうどその時TVでは
宇野昌磨くんが滑っていて
母と2人で鑑賞し
そのあとの犬神家の一族も少し見て
お風呂に入って
湯船につかり…
一日楽しく過ごして
気持ちよくなって寝てしまったのかな?
(私はそう思いたい)
父の肺はお風呂のお湯でいっぱいでした。
父はあっという間に
(お医者さんによると)
あまり苦しむことなく
イブの日に星になってしまいました。
81歳でした。
ちょっと早いよー
生前、母には
コロっと逝きたいなぁと話していたのですって。
自分の思い通りに
本当に有言実行(?)
あっさり
天国に行ってしまいました。
亡くなった翌日、
警察署から戻ってきた
父の顔は寝ているようで
とても穏やかでした。
少し笑ってるようにも見えて
私はそれがとても嬉しかったです。
組まれた指先は
見慣れた父の指で
爪には仕事で使う漆が
少し残っていました。
父は
父の手ひとつで
その指で
丁寧に漆を塗って
毎日毎日
同じような仕事の繰り返しを
何ひとついとわず
仕事に誇りを持って
生涯それだけをして
家庭を守ってくれたんだなぁ。
父が亡くなる日の前日
最後に仕上げてくれたのは
前に頼んでおいた
私の家のお椀でした。
たぶん
お正月に間に合うようにと
仕上げてくれたに違いないのです。
お父ちゃん、ありがとう
何度言っても足りひんわ
ほんまにありがとうね
父の不器用なまでの
真面目な生き方
実直さ
けど
しっかり楽しいこと見つけて
趣味もたくさん
遊びもしっかり楽しんでた!!!
仕事も遊びも全力‼️
そんな生き方をしたから
骨だけになってしまったあと
あんなにしっかり
喉仏と
稀にしか残らないという
指仏のお骨まで
ちゃんと残ってたのかなあ。
きっと、
神さまが父の生き方を褒めてくれたに違いないや
そう思おう。
私はそう思いながら
斎場を後にしました。
葬儀を終えて戻った実家の
父がいつも座っていた机の上には
亡くなる日の帰宅後に
父が
お風呂に入る前に置いたお財布やICOCAが
綺麗に並べられていました
A型の父らしい
父が座ってる場所の後ろ側には
いつも着ている服も
ちゃんとたたまれていて
まさか死ぬとは思ってなかったでしょうに
きっちりしている父らしいなと
思わずにはいられませんでした