1943年11月27日午後、第64戦隊「隼」戦闘機隊は、米P-51Aマスタング戦闘機4機を撃墜した。撃墜場所はいずれもビルマの首都ラングーン(現ヤンゴン)の西方である。檜與平が戦後出版した『つばさの血戦』によると、B-24爆撃機編隊の上空を援護していたマスタング4機のうちの1機を檜中尉は撃ち、一撃で火をふかせたという。

 以下は撃墜されたマスタング4機の「行方不明航空機乗員報告書」の最初のページと、最後に目撃された場所をしるした地図である。

 まずE・ウィルナー少尉「行方不明航空機乗員報告書」の最初のページである。

 

 ウィルナー機が最後に目撃された地点を示す地図。

 

 E・ブリッグス少尉「行方不明航空機乗員報告書」の最初のページ。

 

 ブリッグス機が最後に目撃された地点を示す地図。

 

 J・グレイ中尉「行方不明航空機乗員報告書」の最初のページ。

 

 グレイ機が最後に目撃された地点を示す地図。

 

 D・ホーガン少尉「行方不明航空機乗員報告書」の最初のページ。

 

 ホーガン機が最後に目撃された地点を示す地図。

 

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