1943年11月27日、米軍は爆撃機と戦闘機の連合部隊でビルマの首都ラングーン西にあるインセイン工場地帯を空爆した。これに対し64戦隊の「隼」戦闘機隊が立ち向かう。檜與平が戦後出版した『つばさの血戦』によると、檜中尉はP-38Hライトニング戦闘機に、一連射で火をふかせたという。この日、米側はP-38を2機、P-51Aマスタング戦闘機4機を撃墜されている。またB-24爆撃機3機が墜落している。

 以下の2枚の写真は、撃墜されたP-38戦闘機2機の「行方不明航空機乗員報告書」の最初のページである。まずハーラン中尉操縦のもの。

 

 これはオートメイヤー大尉操縦P-38の「行方不明航空機乗員報告書」の最初のページ。 

 

 以下2枚の写真は、ハーランとオートメイヤーの「報告書」に添付されている、ニール中尉とファウツ大尉の目撃談である。ニールとファウツはこの日P-51に乗り、ハーラン機とオートメイヤー機の墜落を目撃した。

 

 

 わたしは以下の記事に、この日1943年11月27日の空戦模様を書いた。