1943年11月25日午後、米軍は戦爆連合でビルマ(ミャンマー)のラングーン(ヤンゴン)爆撃をおこなった。
檜與平著『つばさの血戦』によると、この日昼食後、檜中尉指揮の第3中隊(第64戦隊)はP-40戦闘機を3機撃墜し、午後3時40分ごろに来襲したB-24爆撃機とマスタング戦闘機の連合13機に対する迎撃で3機に損傷を与えたという。この午後3時40分が日本時間であったとするなら、現地時間は2時間半を減じ、午後1時10分であろう。
米側墜落機として、午後1時45分にハリー・メルトン大佐がラングーンより北西170キロにあるグワというまちの北東で行方不明になっている。メルトンは第311戦闘爆撃航空群の指揮官であり大佐という高官であったため、その行方は徹底調査された。以下は、メルトンの「行方不明航空機乗員報告書」である。なおメルトンのスペリングはすべてMeltonとなっており、Miltonではない。日本語発音はメルトンとすべきであろう。
メルトン大佐が最後に目撃された地点を示す地図。
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