下の写真は、1944年11月5日、第252海軍航空隊「飛行機隊戦闘行動調書」の一部である。「大尉春田虎二郎」の蘭に、
<離陸瞬時、太陽の方向よりF6F×3の奇襲を受け炎上戦死>
と書いてある。ラバウルで岩本徹三の上官であった春田大尉の死である。春田は徹三の上官ではあったが、空戦技術では徹三のほうが勝っていた。春田の戦死を知った徹三は、
「ぼくがついてったら、隊長は死ぬことはなかった」
といってくやんだという。このとき徹三は台湾で、デング熱で寝こんでいた。
下の写真は、1944年11月5日、第252海軍航空隊「飛行機隊戦闘行動調書」の一部である。「大尉春田虎二郎」の蘭に、
<離陸瞬時、太陽の方向よりF6F×3の奇襲を受け炎上戦死>
と書いてある。ラバウルで岩本徹三の上官であった春田大尉の死である。春田は徹三の上官ではあったが、空戦技術では徹三のほうが勝っていた。春田の戦死を知った徹三は、
「ぼくがついてったら、隊長は死ぬことはなかった」
といってくやんだという。このとき徹三は台湾で、デング熱で寝こんでいた。