昭和16年12月8日未明、野中進一郎と尹徳炎は、上の写真左下に写る翼のついた第1次大戦戦勝記念女神像のそばにいた。

上海・黄浦江沿い、共同租界とフランス租界の境界に、女神像はあった。
  野中が受けた命令は、女神像のそばでひと晩、監視をしろ、その場をはなれるなというもの。しかしその目的がはっきりしない。とにかく徳炎とふたりで、7日夜から像のそばにいた。野中は語る。

寒いでしょ、冬は。だから防寒服着て、徳炎と。いつも徳炎といっしょです。徳炎が、なんだ、エーツンって。(徳炎は野中のことをエーツンと呼んだ)。わからん、なんか、きょうはあるらしいから、はなれてはいかん、あしたの朝まで、いうんでね。そうしましたら、パーッと青い信号が上がったわけです。信号弾が。しばらくしたら、バーンと赤い信号弾が上がったんです。そしたら上海の波止場に、軍艦『出雲』がいたんです。野戦重砲が前の晩から待機しておったのが、赤信号が上がったところに向かって、バーッと集中射撃です。花火のごとく。後からきいたところ、青信号を上げたところの、陸軍大佐が軍師で、ランチでアメリカの砲艦とイギリスの砲艦と、二隻に帰順勧告の、ハワイ攻撃の。アメリカのほうは降伏したそうです。だから青信号を上げたんです。イギリスの砲艦は、中尉が外套【がいとう】をまくって出てきてね、降伏文書を英語でベラベラといったら、ちょっと待ってくれといって引っこんだそうです。それで軍師はパパパッとタラップをおりて、全速力で退避すると同時に赤信号を上げた。イギリスの砲艦が日本の租界に大砲を、1発でも撃ちこまれたら困るから、軍師も犠牲にするつもりでやったそうです。でも軍師は間一髪で助かっている。それをわたしは目撃したわけです。ファーッと、まるで花火のごとく信号が来たら、バーンと赤い炎が出たら、フネは沈んだ。轟沈です。それでぼくの任務は、日本が租界へ侵入するのに、ふたつの任務が与えられてあった。これはぼくだけじゃないです、あらゆる機関にね。日本が武力侵入する場合、蒋介石の便衣隊が撹乱【かくらん】をやるだろうと。撹乱をやるやつを、やると。無血入城する場合は、これに協力すると。ふたつの任務を以前から与えられて、それでおかげで無血入城やったわけですから、ぼくの任務はそれで終わったわけです」
 野中談話の内容には誤りもあるが、おおむね正確だ。

 小日向白朗 / 野中 / 徳炎の出撃基地アジトから女神像までの距離は、わずか50メートルほどだ。