
小日向白朗・野中進一郎・尹徳炎が出撃基地にした赤バス終点ビルについて。上の地図は、作家・朽木寒三が白朗の談話をききながら描いた。フランス租界とイギリス租界(共同租界)の境のフランス租界側、現在の延安東路が黄浦江に突き当たる角にビルはあった。延安東路をはさんで真向かいが、アジア石油ビルになっている。
上の地図は戦前のもので、延安東路が、向かって右にある黄浦江に突き当たり、その突き当たる中央あたりに「第1次大戦・英米仏戦勝記念・女神像」がある。左上角【かど】に、亜細亜大楼すなわちアジア石油ビルがある。ということは、通りをはさんでその真向かいに赤バス終点ビルがあり、それが小日向・野中・徳炎の基地である。
上の写真は戦前のもので、向かって左にアジア石油ビルが写り、中央に「第1次大戦・英米仏戦勝記念・女神像」が写っている。中央の通りは延安東路(エドワード7世路)で、女神像は黄浦江に背を向けてたつ。ということは右角【かど】の建物が、小日向と野中が証言する赤バス終点ビルだろうか。ここの2階から4階が小日向機関の基地だったのだろうか。
ひとつ上の戦前の写真の現在(2014年1月)の風景。向かって左がアジア石油ビルの現在の姿。女神像は戦時中、日本軍が撤去して現存しない。赤バス終点ビルも今はない。