以前、母はこう言った。
「看護学校に行かせてやったんだから、資格を使って働きなさい!」
正直、呆れた。
ふざけるな、と思った。
私はJASSO(日本学生支援機構)の奨学金を最大額と、入学時特別増額貸与奨学金を借り、入学金も学費も自分で払っていた。
高校卒業後すぐに家を出たのも、てんかんの手術直後から「卒業したら出て行け」と母から言われ続けていたからだ。
これのどこが「行かせてやった」なのか。
言葉をすり替えるな、としか思えなかった。
それは置いておくとして、「資格を使って働きなさい」その言葉は一見正論に聞こえるかもしれない。でも看護の現場で燃え尽き、持病が悪化し、身体も心も壊れてしまう人がどれだけいるか、母は知らない。知ろうとしたことすらないのだろう。いや、知っていてあえて言っているのかも知れない。
夜勤の帰り道に性被害に遭い、外に出ることすら怖くなってしまったという話も母にしたはずだ。
お前が悪いと一蹴されてしまったが。
そもそも、学校で学んだことを活かして働けなど、あなたが言えることか?と思った。
母は祖父母から十分すぎるほどの教育の機会や経済的援助を受け、恵まれた環境で時間もお金も自由に使えるモラトリアムを享受していた。
東京で生まれ、ピアノなど様々な習い事をさせてもらい、小学校受験をして国立大附属小学校に通い、二つの私立大学に奨学金も借りずに祖父母の金で通い(1つは体育大学)、学びを社会で生かすこともなく、子が3人いるのに夫婦で突然仕事を辞めて家具屋を初め、案の定失敗、私たちを連れて夜逃げ。
その期間の生活費も祖父母の財産から賄っていた。
一方で、私はどうだったか。
高校2年生のとき、右側頭葉切除手術を受け、退院後も心身ともに不安定な状態だった。
あの頃の私は、術後の不安定な体調に耐えながら、手術や入院の影響で遅れた学校の授業に必死でついていき、薬剤調整のために通院するだけで精一杯だった。
普通なら「安心して療養できるように」と寄り添ってくれるはずの親から、待っていたのは退院を祝う言葉でも労わりの言葉でもなく、冷酷なカウントダウンだった。
壁が薄い家なので、私はいつも耳栓をして勉強していた。だが、耳栓が意味を成さないほど、母はいつも大きな物音を立てていた。給湯器のボタンを叩くように押したり、まるでわざと大きな音をたてているように感じるほどだった。
母が大きな音を立てるたび、集中力が途切れる焦燥感、恐怖で体がこわばった。だが、少し静かにしてくれる?なんて言えなかった。「だったら今すぐ出ていけ」と言われてしまったら住む場所すらなくなってしまうからだ。
「ここにお前の居場所はない」という現実を突きつけられるたび、心臓を握り潰されるような圧迫感に襲われた。
経済的にも精神的にも行き場を失った私は、進学の自由を考える余裕などなかった。
「資格さえ取れば家を追い出されてもなんとか生きていける」という幻想だけを支えに、体力的にも精神的にも過酷だと分かっていながら看護の道を選ぶしかなかった。
その幻想を信じなければ、先に進めなかったからだ。
それは選択と呼べるようなものではない。
本来であれば、高校を卒業してすぐに一人で生きていくのなら、就職して働く方が合理的なのかもしれない。
だが当時の私は、そもそも就労に耐えられるような体調ではなかった。
看護学校が体力的にも精神的にも過酷であることも、分かっていた。
それでも他に選択肢がなかった。
視野が狭くなっていた。
今の記憶のまま当時に戻れるのなら、福祉に頼り、療養に専念することを選ぶと思う。
だが当時の私は、その選択肢を認識することすらできなかった。
母にとっての「学び」は、祖父母の庇護の下での贅沢な遊びでしかなかった。
けれど私にとっての「学び」は、命綱と呼ぶにはあまりに重く、自由も余白もない、苦しみに直結する鎖だった。
だからこそ、母の「資格を生かせ」という言葉は、過去から現在まで一貫して続く暴力だ。
追い出すように突き放し、選択肢を奪い、なお「その苦しい道を歩き続けろ」と迫る。
そこには理解も共感もなく、ただ冷たく突き刺さる残酷さだけが残るのだ。
母は祖父母が購入した都内の5LDKの一戸建てに叔父(母の弟)と2人で住み続けている。祖父母が購入した土地の収入も得ている。
母の年代の女性の大学進学率はわずか4.9%。そんな時代でも私立大学を2つ(教員を目指していたわけでもなかったようなので、ただモラトリアムを引き延ばすための選択だったのではないか、と勘ぐってしまう。)祖父母が学費を全て出して卒業している。
母がその学びを社会で生かしたことは一度もない。
母は祖父母の資産や環境に頼り、健康体で、学びの機会もお金も十分に与えられる、守られた環境でずっと生きてきた。
自分は一度も学んだことを活かしていないのに、なぜ私にだけ「資格を生かせ」と言えるのか。
母自身は祖父母の援助で守られてきた人生だというのに、私には「自己責任」を押しつける。
それこそが矛盾であり、滑稽でさえある。
母が私に投げつけたその言葉は、結局「自分が歩んでこなかった苦労を、娘には強いる」という身勝手さの表れだった。
正論を装った暴力。それ以上でも、それ以下でもない。
首藤はるか