私はこれまで、自分の過去について詳しく語ることを避けてきた。病気のこと、家族のこと、自分の抱えてきた苦しさについても、人に話したところでどうにかなるわけではないし、むしろ「甘え」「怠けてるだけ」と受け取られるのでないかと思っていた。
実際、今も苦しさの真ん中にいる。
体調は悪い日が多く、心も身体も、思うように動かない。
立ち上がろうとするたび、また沈んでいくような日々の連続だ。
でも、そんな今だからこそ、過去に触れてみようと思った。
過去をきちんと見つめることが、今の私にとって、必要な気がした。
私は、長い間、誰にも気づかれず、理解もされずに、この病気と共に生きてきた。苦しくて、何度も投げ出したくなったけれど、それでも、どうにか前に進もうとしていた自分が確かにいた。その姿を、誰にも認めてもらえなかったけれど、せめて今の私だけは認めてあげたい。 そう思うようになった。
同じように「見えない障害」「見えない苦しみ」を抱えていて、このブログに偶然たどり着いた方がいたら、「誰にも届かなくてもあなたの歩みは確かに続いている」と伝えたい。
社会的に理解を得にくい状況の中で感じた孤立や恐怖は、語られる機会が少ない。
どこにも居場所がないと感じたこと。努力しても報われないと思ったこと。病気によって、それまでできていたことができなくなる恐怖、生活が狂わされていく恐怖。そうした感覚は、誰にでも話せるものではないし、話せたとしても伝わるとは限らない。でも、だからこそ、こうして文章にして、同じような状況の誰かの目に触れる場所に置いておきたいと思った。
このブログは、同情を求めるためのものでも、誰かを責めるためのものでもない。ただ、長いあいだ心の奥に押し込めてきた思いを形にしてみようと思った。
首藤はるか
実際、今も苦しさの真ん中にいる。
体調は悪い日が多く、心も身体も、思うように動かない。
立ち上がろうとするたび、また沈んでいくような日々の連続だ。
でも、そんな今だからこそ、過去に触れてみようと思った。
過去をきちんと見つめることが、今の私にとって、必要な気がした。
私は、長い間、誰にも気づかれず、理解もされずに、この病気と共に生きてきた。苦しくて、何度も投げ出したくなったけれど、それでも、どうにか前に進もうとしていた自分が確かにいた。その姿を、誰にも認めてもらえなかったけれど、せめて今の私だけは認めてあげたい。 そう思うようになった。
同じように「見えない障害」「見えない苦しみ」を抱えていて、このブログに偶然たどり着いた方がいたら、「誰にも届かなくてもあなたの歩みは確かに続いている」と伝えたい。
社会的に理解を得にくい状況の中で感じた孤立や恐怖は、語られる機会が少ない。
どこにも居場所がないと感じたこと。努力しても報われないと思ったこと。病気によって、それまでできていたことができなくなる恐怖、生活が狂わされていく恐怖。そうした感覚は、誰にでも話せるものではないし、話せたとしても伝わるとは限らない。でも、だからこそ、こうして文章にして、同じような状況の誰かの目に触れる場所に置いておきたいと思った。
このブログは、同情を求めるためのものでも、誰かを責めるためのものでもない。ただ、長いあいだ心の奥に押し込めてきた思いを形にしてみようと思った。
首藤はるか