退院してからの私は、とにかく焦っていた。入院中に遅れた勉強を取り戻さなければならない。まもなく高校3年生、周囲はすでに受験モードに入っていた。
今の私が、当時の16歳の私に声をかけられるなら、こう言いたい。「進学や就職のことは一旦置いておこう。今はしっかり療養して、心と体を回復させることが先だよ。福祉制度だってある。そこからでも十分間に合うから、大丈夫だよ」と。だけど、あの頃の私には、そんな猶予も助言してくれる人も、安心できる実家もなかった。
母は、毎日のように「あと2年、あと2年」と言っていた。その意味を尋ねると、「18歳になれば一人暮らしできるんだから、この家が嫌なら出ていって」という意味だと言った。
私たちが暮らしていたのは、公営団地の2DK。母と兄②と3人暮らしだった。ダイニングでは、母と兄がテレビを大きな音で見ていて、私の部屋はすぐ隣。テレビの音が気になって、勉強に集中できないことがよくあった。「音を少し下げてくれる?」とお願いすることもあったけれど、当時の私には、常に明るく愛想よく振る舞う余裕なんてなかった。
お願いするときは、少し音量下げてもらっていいかな?
というできるだけ柔らかい言い方をした。
それでも、母にとっての私は「機嫌が悪い娘」だったのかもしれない。「あと2年」と何度も口にするほど、私の存在が母を追い詰めていたのだとしたら、私はもう、18歳になったら出て行かなくてはいけない。そんなタイムリミットを与えられたような気がした。
首藤はるか