高校に入学してからしばらくは、私の生活は安定していた。

中学校の頃に悩まされたてんかん発作も薬で落ち着いており、副作用の強い眠気にも体が慣れ、ごく普通の高校生活を送れるようになっていた。


アルバイトが許可されている学校だったので、下校後コンビニで数時間アルバイトをしたり、ようやく「普通」と思える日常が手に入りはじめていた。


しかし、私にはまだ、病気に関して乗り越えなければならない大きな壁が残っていた。


高校2年生の10月、私はてんかんの外科手術を受けることになる。当時、私は15歳(3月生まれのため)


〜手術に至るまでの経緯〜

高校1年の後半から、再び発作が起きるようになった。


私が診断された「海馬硬化を伴う内側側頭葉てんかん」は、薬物治療ではじめは発作がおさまりやすいが、再発すると薬だけで完全に発作を抑えるのが難しくなることが多い病気だとされている。

そのため、根本的な治療として「手術」が選択肢に挙がる。特に、片側に限局した海馬硬化であれば、側頭葉の内側にある扁桃体、海馬、および海馬傍回といった構造を切除することで、約80%の患者で発作が消失すると説明されていた。


主治医からは以前より、「再び発作が出てきたら、手術を考えましょう」と言われていたので、いざその時が来たときも私はあまり驚かなかった。

怖くなかったわけではないけれど、ある種の覚悟はできていたように思う。


手術を受けるには、事前にさまざまな精密検査が必要だった。

高校2年生の夏休み、私は1ヶ月程度の検査入院をし、脳波、MRI、PET、脳磁図、知能検査、視野検査、神経心理検査…など、たくさんの検査を受けた。

その検査の結果、主治医から「やはり手術が最適な治療だろう」と正式に判断され、できるだけ早くということで、検査入院の後すぐに手術を受けた。


学校はしばらく休まなければならなかったが、「今、向き合わなければいけないことはこれだ」と、自分でも納得していた。


首藤はるか