9月12日。いつもの外来を終えて、私はいつも通り電車で帰るつもりだった。
病院の正面玄関を出た。その瞬間までは、何も変わらないはずだった。
──けれど、次に気づいたとき、私はストレッチャーの上にいた。
慌ただしい声が飛び交い、先生の指示も聞こえる。
吐き気がひどく、尋常ではない汗が全身から吹き出していた。
帰る途中で完全に意識を消失した私は、手で受け身を取ることもできず、顔面から地面に倒れた。
顔は目を開けることもできないくらい大きく腫れ、左目のあたりを打ったはずなのに、右目まで、そして顔全体に腫れが大きく広がっていた。
とにかく吐き気が強く、死の恐怖さえ感じた。
病室に母が来た。
母は私の電話番号を着信拒否しているので、おそらく病院からの電話に、うっかり出てしまったのだろう。
倒れて顔が腫れ、目も開けられない私を見た母の第一声は、
「うわー、これはわざとじゃできないね〜!お岩さんみたい」だった。
──わざと?
私は、生まれてから今まで一度たりとも、「わざと」倒れたり、「わざと」怪我をしたことなどない。
そんな発想をしたことすらない。
どうしてこの状況を見て、そんな言葉が出てくるのか。
どんな思考をしていたら、「これはわざとじゃできないね」なんて言葉をかけられるんだろう。
私だったらまず、「大変だったね。痛かったでしょう。辛いね。辛かったね」と声をかけると思う。
──“これはわざとじゃできないね”って……
首藤はるか