今日は朝から晴れてて、気持ちが良かったから洗濯機をまわした。



洗濯バサミがいっぱい並んだ干す道具(名前は知らない)にほしながら、ふと気づく。


外に出す前に、廊下で干してから外に出す自分がいる。

ベランダの窓の出入り口で中にある洗濯物を取って、外の竿に吊るしてるほす物につけるために外に出る(または乗り出す)手間を省くためにしていると理由が浮かぶ。


ただ、廊下で干しながら思うのはベランダの入口だと2人で干すのは不自由、廊下なら互いにぶつからずにスムーズに動けるって考えが浮かぶ。洗濯を干してるのは自分1人なのに。



子どもの時の母はいつも急いでいた、家事の進みが遅いとイライラする。手伝う時に母の動きを妨げると、「あっち行って他の事をしてて」と言われる。

小学生になって1人で任せて大丈夫と判断されると、お手伝いは1人でやる仕事になった。



感情型の僕は、母と一緒に手伝いたかった。

「大変だね」とねぎらいあいながら、NP-NCの交流を求めていたけど、母からしたら2人でやるのは時間の効率が悪い。


家事をする母は思考型のエネルギーを使い、家事の合間で子どもたちと話す時には信念型を使って手本になろうとしていた。



育児中のお母さんたちは、子どものためにPCを補っていて自分のCを使ってないから、お父さんがお母さんのCを使える環境を用意する必要があるって、基礎講座で習った事が子どもの頃の感覚と繋がる。


改めて自分に振り返ると、自分の中のスムーズさ遅滞なさを求める感覚は、子どもの頃の母の手伝いをしている僕が母がイライラしない様に気遣っていた感覚に行き着く。



感情型の自分は、やる事に追われて心に余裕がない親を手伝って、ホッと一息ついて柔らかくなってほしい。

そこで、母から笑顔で「ありがとう」って言われたら、母が幸せになったしお礼を言われて気遣われたと思えて力になる。


思考型と感情型のミスコミュニケーションが起きていたんだなと理解できて、また1つ自分の中の自分の物じゃない感覚に気づけて母子分離が進んだ今日の午前中。



洗濯物を外に出すまでは、晴れてたのに出し始めたら曇天。

洗濯物を干し始めようと思った時の天気がピーク、もう少し晴れが続いてくれたら良かったのにと落ち込みかけながら、喜ばせよの高揚低調にこれも入るのかな?と思って、「洗濯は終わったOK」まででその先を考えるのをやめる。


書き終わったところで、青さが出てきたからいい感じ。






スピッツの「バニーガール」を聴きながら