インナーチェンジングセラピーでは、ヴァン・ジョインズ&イアン・スチュアートの人格適応論を、日本向けにアレンジした情況対応コミュニケーション講座があります。
人間は、6種類のタイプのエネルギーを持っていて、職場や家庭などの環境に応じてタイプエネルギーを使い分けていると言われています。
自分の適応タイプを理解すると、他者(他のタイプ)との違いが見えてきて、お互いの違いを乗り越える方法が見えてくる。
この違いとは、世界を見るフィルターの違いとも言えます。
気持ちのフィルターで見ると、こうあるべきって考えは見えにくかったり、時間のフィルターなら気持ちは見えにくい。
それぞれの得意なフィルターで他のタイプを見ていると、ミスコミュニケーションが起こりやすい。
ざっくり分けると、感覚ベースの4タイプと理論ベースの2タイプに分けられます。
上記のことを念頭に置いていただいて、以下をお読みいただけたら幸いです。
僕の土曜日の夕方の楽しみと言えば、BSプレミアムで毎週土曜日の夕方に放送中の「名探偵ポワロ」です。
感情型(感覚ベース)のアガサ・クリスティが、幼少期の環境に適応した理論ベース(思考優位の信念)のタイプで執筆したのが彼女の作品群。
ジョーン・ヒクソンの「ミス・マープル」と並んで、デヴィッド・スーシェの「名探偵ポワロ」は世界観を壊さずに丁寧に作られている。
(思考・信念の世界に感情のタイプも入れ込まれていますが、世界観を壊すほどではなくむしろ奥行きが拡がって魅力が増しています。)
ドラマ版の「名探偵ポワロ」では、ポワロが思考型優位の信念型、パートナーのヘイスティングス大尉は感情型、秘書のミス・レモンは思考型と感情型で人物造形されている。
原作にある雰囲気に、柔らかい気持ちがプラスされているので見ていて心地の良い時間を提供してくれている。原作にあったポワロの不適応な部分が修正されて、親しみやすい(信念型にとって受け入れやすい)人物像に変更されている。
ポワロは、こうあるべきで現実を歪めるのでなく、事実と情報(思考型)から犯人の意図(信念型)を見抜く。
格調高いとか、荘厳とか品の良いと言う言葉は、信念型の作品への評価として馴染み深いものですが、「名探偵ポワロ」には高すぎない品格が感じられる。
なーのーにー、今日放送されているアガサ・クリスティのドラマ化は、昨年末にジョン・マルコヴィッチがポアロ役をした「ABC殺人事件」の制作総指揮をした脚本家のサラ・フェルプスさんのシリーズ。
「ABC殺人事件」を見た時と同じ感覚になって、めっちゃガッカリ。
彼女のフィルターは、信念型でも思考型でもなくしかも絶望の色に彩られている。
触れた感覚が近いものは、漫画アプリで読んだ吉田聡さんの「荒くれKNIGHT」に似ている。
人生の基本的立場がI'm not OK. You're not OK.で描かれた世界観。
ヤンキー漫画、反応型で描かれている事が多い中で、暗く沈んだ「強くあれ」のプロセス脚本一色で、主人公の所属する輪蛇のメンバーは自分たちのことをウジとかゴミとか自己卑下している。(正確な表現を確認しにBOOKOFFに行ったけど、在庫がなくて確認できませんでした。もうちょっと汚い表現を使ってたはず。)
当時調べたら、制作背景について脚本家が「クリスティが描かなかった人間の汚い部分」を描いたと言っていた文章が目に入ったんですが、今回調べたら該当のページを発見できず。
信念型が大切にしている、世界観を自分のフィルターを通して見えなくしてダークな世界観にする。
同じような例が、スティーブン・キングを激怒させたスタンリー・キューブリック監督の「シャイニング」ですね。
信念型に影響を受けた、想像型と感情型で描かれているキングの世界観を、「完全であれ」+「強くあれ」のキューブリックには理解できず、キングの作品世界に充満している雰囲気を吹き飛ばして、完全であれで冷たく描いた。
それはそれで、完全であれの雰囲気に塗りこめて成立はしているけど、原作とは別物になってます。
想像型の方の、優しい目線が大好きなので、絶望に凍りついた瞳で捉えた世界の姿は好まない。これが僕の見たい世界の姿I'm not OK.でもYou're OK.自分はOKじゃなくても世界は輝いていて欲しいって想いを小さい頃の僕は持ち続けていたのを思い出しました。
親や学校の関わりの中で、僕の望むものは得られなかったけど、トーベ・ヤンソンさんのムーミンたちに対して地の文での優しい目線。
ロアルド・ダールの「マチルダ」って映画でもナレーションでマチルダたちに対して優しい目線が投げかけられていた。
小津安二郎監督作品での独特の低い目線とか、良い悪いとかの価値判断の無い目線に親しみを感じてたから、180度違う方向に感じてショックを受けた。
なるほど、僕が見たくない醜く感じる描き方にショックを受けた結果がこのブログですね。
信念型のストレス反応の入り口、自分の考えを押し通して相手を批判する理由は、改善して欲しいって気持ち。
自分が受け取りやすい形に変えてくれたら受け取れるって、再定義にもつながる心の動き。
ブーメランが自分に返ってきたようです。
サラさんのフィルターが僕のフィルターに合わないから、批判して自分の側のフィルターに合わせてよってゴネてるだけ。
気づくとすごく恥ずかしい…
ただ、思う。
本や漫画が、アニメや実写化して失敗する時って原作を理解していないと言われたりする中身には、このタイプの違いがあるのでは無いかと思う。
照れ隠しで、根拠なしのただの意見。
筋肉少女帯の「タチムカウ〜狂い咲く人間の証明〜」を聴きながら怒りを燃え上がらせてたけど、不快感情が不合理な思考と結びついてただけかと気づいたら沈静化した。
学びが活きてるかもと自画自賛(自分にストローク)で、気分良くなってる不思議。
明日の「太平記」の再放送のために早く寝ます。
フジファブリック「笑ってサヨナラ」を聴きながら